> 2011年10月のブログ

あの本、この本④

 四方田犬彦さんの『ゴダールと女たち』を読んでから、『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』を観直すなど、すっかりゴダールづいている。このたびはゴダールの『映画史』を読んでみた。
 この本はモントリオールでの講話をテープ起こししたもので、出版は1980年である。自作一本と、それに関連のある過去の映画(ほとんどは古典)数本を一緒に論じるというスタイルは、けっして読みやすいものではない。また即興性の強い語りは、文脈がかなり支離滅裂である。しかし言われていることは、「ひとは自分にできることをするのであって、自分がしたいと思うことをするわけじゃないのです」とか「制約こそが、スタイルとリズムをつくり出すのです」とか、至極まっとうであったりする。また「人々は戦争をするかわりに、戦争映画をつくるべきなのです」といった名言(?)が、さり気なくちりばめられてもいる。
 それにしてもゴダールって、なんかおかしい。たとえばこんなくだり。「私は、私の娘が私がつくった映画を五分間見るのにも我慢できなかったり、そのくせ、コマーシャルとかアメリカのシリーズものなら何時間でも見ていたりするのを見ると、なにかを考えさせられます。《あんなもの見てもまったくなんの役にも立たないのに》などと考えます。私には彼女を恨む権利はないのですが、それでも、いくらかは恨んでいます。ときどき、彼女の食いぶちを出すのがいやになったりするのです!」いつも率直で純粋なゴダール。
 ゴダールの映画は『勝手にしやがれ』以外、どれも興行的には惨憺たるものだったらしい。本人が言っているのだから間違いないだろう。その言い訳がまたおかしい。「われわれがつくる映画が興行的に成功しないのは、われわれがものごとについて誠実に語ったり、自分たちに出発できる場所から出発しようとしているからです。人々はそうした映画を到達点とみなし、きわめてわるく解釈するのです。」なるほど、と思う一方で、それなら到達点を見せてくれと言いたくなる。結論。「私の最もすぐれた映画というのは、まさに、私がつくらなかった映画です……」
 ゴダールのことを考えるとき、ぼくは「其の知は及ぶべき也、其の愚は及ぶべかざる也」という『論語』の言葉を思い浮かべる。ゴダールが体現しているのは、一つの「愚」であり、そこに彼の天才があるような気がする。映画もそうだけれど、ゴダールの発言や行動は、なぜかぼくたちを元気にしてくれる。「人を喰った誠実さ」とでも言うべきものがある。
 多くの人に、ぜひ読んでもらいたい。ただ上下巻あわせて6600円(+税)というのは高過ぎる。せっかく版元が筑摩なのだから、学芸文庫に入れて各巻1500円(+税)くらいで販売してほしい。【ゴダール『映画史』奥村昭夫訳(筑摩書店)】