人間をいかに蘇生させるか
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一昨日まで奈良に行っていました。『古事記』ゆかりの地をめぐるという雑誌の取材だったのですが、去年は太安万呂が元明天皇に『古事記』を献上してから、ちょうど1300年ということで、いろいろ話題になったようです。1979年に発見された安万呂の墓にも行きました。あるいは日本最古の本格的な伽藍寺院とされる飛鳥寺とか、ぼくたちがイメージする日本はここからはじまったという、そういう場所を歩いてきたわけです。
日本という国、その文化や伝統の発祥の地をめぐりながら、こうした遺跡や遺物は、現在のぼくたちにとってどういう意味をもっているのだろう、ということをあらためて考えました。2011年に福島の事故が起こって、いちばん強く感じたことは、ぼくたちは潜在的に過去を失っていたのではないかということです。日本人が長く暮してきた国土や風土、そのなかに息づいている歴史や伝統を、ぼくたちはすでに失っていたのではないか。
ぼくも「風船プロジェクト」に参加させてもらいました。ご承知のように、原子力発電所のそばから風船を飛ばして、放射性物質がどこまで飛散するかを実際に検証してみようというプロジェクトです。玄海町から風船を飛ばしたのですが、あっという間に四国の香川や徳島のあたりまで飛んでいってしまいました。風の影響が強いわけですけれども、別のときには奈良県で風船が発見されたという情報も寄せられたそうです。福岡から奈良といいますと、直線距離にして五百キロくらいあると思います。そのくらいの範囲は、放射性物質が飛散する可能性があるということです。
放射線量というのはややこしい問題で、ぼくもよくわからないのですが、専門家のあいだでもいろんな意見があるようです。政府は一応、年間20ミリ・シーベルト以上のところを計画的避難区域としていますが、これがまったく安心できない数字であることは、多くの人たちが指摘しています。よく比較に出される数字でいうと、チェルノブイリの場合は、年間5ミリ・シーベルト以上のところは強制移住の対象になっているようです。これは除染をしたあとも、放射線量がそれ以下にならないところは移住しなさいと、ウクライナの法律に定められているわけです。
京都大学の小出裕章さんは、北は岩手県の一部、西の方だと新潟県の一部、南では茨城、千葉、群馬、栃木、埼玉、東京の一部などが、人が生活できないくらい汚染されているとおっしゃっています。人が生活できないというのは、放射線管理区域という、放射線を扱う施設で働く人たちが時間を限って立ち入ることのできる場所がありますが、そういうところで定められている放射線量(一平方メートルあたり四万ベクレル)を基準にして、「人が生活できないレベル」とおっしゃっているわけです。
いずれにしても、たった一基の原子力発電所の事故によって、非常に広範な地域が、人が住めなくなるほど放射能によって汚染されることは間違いありません。そのなかには住居や畑や田んぼ、他にもいろんなものがあるはずです。ぼくがまず考えたのはお墓のことです。生きている者は移住できる。しかし死者たちを移住させることはできない。つまり墓参りができないという状況が出てくるわけです。神社も同じです。日本の神社というのは、全国に八万くらいあるそうですが、キリスト教の教会などとは違って、ほとんどが産土や氏神と呼ばれるような、その土地を守護する神々を祀っています。日本人の伝統的な信仰は、土地と切り離せないのです。
たとえば『万葉集』の一巻に、つぎのような歌があります。
三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや(1・18)
額田王の一行が近江へ下るときによまれた歌とされています。奈良の三輪山、現在は桜井市になるでしょうか。通常は別離の歌と解されます。この土地を離れていくときに、見送ってほしい馴染み深い山が、雲に隠れて見えないという歌です。せめて雲だけでも思いやりがあってほしいと言っているわけですが、たかが山が雲に隠れて見えないというだけで、どうしてそんなに感情的になるのか。
いまも三輪山の麓には、多くの神社や天皇陵が点在しています。額田王の時代、大和一帯を支配した豪族にとって、三輪山は一種の保護神であった。その保護神を離れて他の土地へ移っていくことは、自分の存在根拠が失われるほどの意味をもつものであった。たんなる別離の気持ちをうたったものではないのだ、という解釈を、白川静さんはされています。日本人にとって土地、あるいは風土というものは、伝統的にこの歌のような意味をもっていたのだと思います。放射能に汚染されたからといって、じゃあ別の土地へ移住しよう、別の神社にお参りしようというわけにはいかないのです。
ぼくたちは盆や正月を特別な日と考えています。いまでは年中行事の多くが形骸化し、意味も由来もよくわからなくなっているのですが、柳田國男などによると、盆や正月というのは、それぞれの家のご先祖さまをお迎えする、とりわけめでたい日でした。そして先祖の霊というのも、かならず家に帰ってくる。自分が生まれ育ち、亡くなった、その家に帰ってくるのです。こうした場所が、計画的避難区域になったり、強制移住地域になったりする。すると死者の霊は、迎える人のいない無人の家に帰っていくことになるでしょう。今度の事故によって、そういう家がたくさん生まれたはずです。
現在、日本列島には五十数基の原発があり、福島の事故まではほとんどが動いていました。そのうちのどれが事故を起こしてもおかしくはなかった。つまり日本全土が、潜在的には福島と同じ状況にあったと言えます。遠い先祖から連綿と培われてきた文化や伝統や記憶、一人一人の出自やアイデンティティにかかわる大切なものを、ぼくたちは自らの粗忽さによって、一瞬にして失いうるという現実を生きていた。それがわれわれ日本人の日常であったわけです。
原発の問題にかぎらず、ぼくたちは自分たちの手で、過去の歴史や伝統を消去しつづけてきたのではないか。この国における「近代」とは、そういうもとしてあったのではないか。その帰結として、福島の事故は起こるべくして起こったように見えます。
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夏目漱石の有名な講演に、『現代日本の開化』というものがあります。明治四十四年(1911年)に和歌山でおこなわれたもので、講演のなかで漱石は日本の近代化に触れています。文明開化、すなわち近代化においては、西欧(ヨーロッパ)が一つの普遍性といいますか、世界性をもちます。それ以外の国にとって、近代化というのは西欧化のことである。これを漱石は「外発的」と言っています。日本の近代化は、西欧という圧倒的に優位な文明をもつ国々に屈したかたちでなされる、外発的なものである。ヨーロッパにとって必然であるものが、日本にとっては必然ではない。必然でないものを、必然として受け入れなければならない。
ここから近代化にともなう様々な矛盾やひずみが出てくるわけです。たとえば強い者とつきあっていくためには、自分のところのやり方を捨てて、先方の習慣に従わなければならない。それによって自国の歴史や伝統が空洞化していくだろう。内側を切り捨ててなされる日本の近代化は、おのずと表面的で上滑りのものになっていかざるをえない。また外発的な近代化を受け入れる日本人の内面は、多くの不安や不満を抱えることになるだろう。このように漱石は、日本の近代化を非常に悲観的に、暗い予感のもとにとらえています。
それからもう一つ、こちらも有名なものですけれど、『私の個人主義』という学習院でおこなわれた講演があります。大正三年(1914年)の秋ですから、漱石が亡くなる二年ほど前です。内容的には、先の『現代日本の開化』を一歩進めたものになっています。外発的な近代化ということから、もう一歩踏み込んで、近代化にともなう日本人の自我の問題を提起している。これは漱石の生涯にわたるモチーフでもありました。とくに『それから』『門』『心』といった後期の作品のなかでは、男女の三角関係というかたちで、この問題は突き詰められていきます。そこで顕在化してくる家族の解体とか、男女のあいだの不信感とか、不安や懐疑といったものは、多かれ少なかれ誰の身にも降りかかるものなんだ。それは日本の社会が近代化していくことの代償といいますか、宿命みたいなものなんだと漱石は考えていました。
講演のなかで漱石は、「淋しさ」という言葉を使っています。近代社会のなかで人が生きることは、自分は自分、他人は他人というふうに、ばらばらに生きることだ。そういう意味で、近代的な個人主義というのは自由である半面、非常に淋しいものだということを、漱石はしきりに言っています。自由になって個人の欲望は拡大していくけれど、一方で、地縁血縁で結ばれた共同体は解体し、伝統的な生活の基盤を失い、一人一人の人間は孤独で不安な存在になっていかざるを得ない。そのことを漱石は「淋しさ」と言っているのだと思います。
百年ほど前の講演ですが、漱石は日本の近代化の本質をじつに的確につかみ、また予見していると思います。漱石が言っている「淋しさ」は、二つのことに起因しています。一つは、近代の日本人が自国の歴史や伝統と切り離されていくこと。もう一つは、個々の人間がばらばらに、個人や主体として生きなければならないこと。そのことを漱石は、近代化がもたらす「淋しさ」と言っています。
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漱石の時代にはまだ顕在化していなかったこと、百年後のぼくたちが新たに直面している状況を、一言で言えばグローバリゼーションということになると思います。これは近代化が進展していく過程で、ほとんど不可避的にあらわれてくる局面であると言えます。
漱石も言っているように、近代化というのは、すなわちヨーロッパ化ということです。近代化のモデルはヨーロッパだった。では、なぜヨーロッパで近代化が可能であったかというと、地球規模での交通や交易、交換、そういう世界経済のようなものを生み出しえたからです。ヨーロッパの近代というのは、経済的には資本主義ということになりますが、資本主義的成長は、エネルギーがタダか、タダに近いほど安いことを前提としています。ヨーロッパは力にものをいわせて、アジアやアフリカ、南北アメリカなどから天然資源や人的資源を強奪した、というのが言い過ぎなら、非常に効率的に手に入れた。だから近代化が可能だったのです。日本の高度経済成長にしても、オイル・ショック前で安い原油が手に入ったから達成されたという面が大きいのです。
この延長にグローバリゼーションはあります。安い資源、エネルギー、労働力が供給されつづけないと、資本主義的成長は止まってしまう。資本主義というシステムそのものが崩壊してしまう。しかも近代化を遂げた国は、日本をはじめとして、百年前よりもずっと多くなっている。プレーヤーの数は増えているのに、パイの大きさは変わらない、むしろ縮小している。どこかに未開拓な領域を求めなければならない。それは貧しさと言い換えてもいいでしょう。グローバリゼーションとは、地球規模で貧しさを探し求める動きとも言えます。探して見つからないものは作り出してしまえ、ということで効率化や合理化がはかられるわけです。つまり企業にかかるコストを、できるだけ削減しようとする動きが出てくるわけですが、これは働く側からすると、安い賃金や、劣悪な労働条件のもとで働くことを強いられる事態を意味しています。いま問題になっているブラック企業などもそうですが、労働者を使い捨てるといいますか、使い潰すような会社がたくさん出てきているわけです。
とくに金融資本主義が登場してから、こうした動きが一気に加速しているように思います。その結果、近代化を遂げた国の内部にも、新たな貧困が作り出されることになる。オキュパイ・ウォール・ストリートのような抵抗運動が、アメリカという金融資本主義の先頭を走っている国で起こっていることは、とても象徴的だと思います。あの運動のスローガンにあるように、一パーセントの富裕層と、九十九パーセントの貧困層というような、非常に大きな経済格差が生じて、多くの人が様々なローンに頼ったり、多額の借金を抱えたりして生きている。ギリシアやスペイン、イタリアなどヨーロッパの国々でも、多くの人が失業し、病院にもかかれないという状況になっている。
つまり人々の生活の基盤そのものが破壊されようとしているわけですが、それでもなお資本は成長をつづけようとする。そうしないと資本は成長できなくなった、ということだと思います。かなり末期的な状況とも言えるでしょう。国内に大きな経済格差を作り出し、自国民の生活を破壊し、彼らの貧困を糧にして、資本主義というシステムだけが生き残ろうとしているように見える。そのことがグローバリゼーションの根幹にある問題だと思います。
安部首相などは、そのあたりがまったくわかっていないんじゃないでしょうか。現在の日本の政権は、ただ無自覚に、無抵抗に、こうした流れに呑み込まれつつあるように見えます。小泉内閣がおこなった規制緩和は、一般的には新自由主義と呼ばれていますが、要するに、日本でアメリカなど海外の企業が商売をしやすくするためのものでしょう。TPPは、この動きをさらに強力に推し進めようとしている。それによって日本人の暮しが良くなるとも、豊かになるとも思えない。むしろ経済格差が拡大し、多くの貧困層が生み出されることは、目に見えているのではないでしょうか。
テレビをつけると、連日のように世界各地の反政府運動や抗議運動のニュースが流れています。北アフリカや中東だけではなく、ヨーロッパのあちこちでも起こっている。それは当然のことで、彼らは自分たちの暮しを守ろうとしているのです。起こるべくして起こっていると言える。しかしなぜか日本では、そうした反政府運動も抗議運動も起こる気配がない。それどころかグローバリゼーションにたいして従順で無策な自民党政権が大勝したりするわけです。これはいったいなんだろう。ちょっと理解できないことだと、ぼくなどは思います。
ぼくたちが進めている脱原発の運動は、広くとらえるなら、現在、世界各地で起こっている、グローバリゼーションや新自由主義にたいする抵抗運動と同じ文脈にあると思います。なぜなら原発を動かすということは、まさに人々の生活の基盤そのものを破壊しかねないリスクを負うことであり、現に福島の事故では、それが起こっているからです。たんに電力やエネルギーの問題はないし、まして日本経済を立て直すとか、景気を回復させるといったことを議論しているのではない。原発に依存することによって、不可避的に多くの犠牲が生み出されてしまう。それは結果的に、グローバリゼーションの進展がもたらすものと同じである。脱原発の運動は、何よりも、そのことにたいする抵抗運動であるべきだと思います。
しがたってぼくたちが最優先で求めていくべきことは、原発事故によって生活の基盤を破壊された人たちの救済でしょう。もちろん原発(核エネルギー)は、放射能汚染や使用済み核燃料の処理など、未来に深くかかわる問題を孕んでいます。しかし「未来」という言葉に足をすくわれてはならないと思います。未来の他者を考えるという言い方で、現在の他者をオミットしてしまってはならない。現在のなかに未来もある。未来の問題は、現在の問題のなかに顕れていると思います。
現状に目を向けるなら、すでに事故から二年半が経過しているにもかかわらず、被害を受けた人たちの救済はまったく進んでいない。事故の当事者である電力会社や政府から出てくるのは、あいかわらず企業の論理や官僚の理屈ばかりです。あれだけ土地を追われたり、仕事を失ったりした人がいるのに、国も電力会社も、一言の謝罪の言葉も口にしていない。事故が原因で自殺した人もいるし、避難中に亡くなったご老人もいるはずです。避難先で体調を崩して亡くなる人もたくさん出てきている。それなのに政府関係者も東電の幹部も、誰も責任を問われない。当時の東電幹部だった人たちは、多額の退職金をもらってさっさと退散してしまった。
いくらなんでもひどすぎるじゃないかと思います。安部さんなどは首相として立派なことを言っているつもりかもしれないけれど、ちゃんと目をあけて自分の国の現状を見てみくれと言いたくなります。これでは美しい国どころか、到底、人間の国とも言えないじゃないか。多くの人たちが見捨てられたままじゃないか。すべての国民が人間らしく暮らすという、国家として最低限保証しなければならないことが、まったく履行されていないじゃないか。何が国防軍だ、アベノミクスだと言いたくなります。
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去年の十二月に、玄海原発訴訟の原告として、佐賀地方裁判所で意見陳述をさせてもらいました。裁判官や、被告である国や九州電力の関係者、その代理人たちの前で意見を述べたわけですけれど、五分余りの陳述のあいだ、人間に向かって喋っているという感じがしませんでした。たしかに目の前に人が坐っている。しかし人間という感じがしないのです。彼らは司法の論理を体現し、国や企業の利害を代表する者としてそこにいるので、一人の人間としてそこにいるわけではない、ということなのでしょう。だから彼らに人間らしく振舞ってくれといのは、無理な注文なのかもしれない。彼らから人間らしい言葉を引き出すことは、絶望的なまでに困難かもしれない。
これは法廷のなかだけではなくて、あらゆる場面で感じることです。新聞でもテレビでも、人間の言葉を目にすること、耳にすることが稀になってきている。学者や専門家による状況解説はあるのです。逆に言うと、それしかない。心に響くような言葉はほとんど見かけなくない。ぼくたちの社会から、人間が消えかけているのではないかと思うことがあります。官僚や企業家だけではなくて、評論家も、大学の先生も、ひょっとすると文学に携わる者までもが、人間の言葉を発することができなくなっている。言い換えると、そこに一人の人間が生きているという実感が、言葉に伴わないのです。ぼくたちの社会に溢れている言葉の大半が、ただの知識や情報でしかない。これはなぜだろう、ということを考えてみます。
資本というのは無限の富の収集や蓄積を追求するものです。それは個々の人間の意志というよりは、成長しつづけないと生きていけない資本の性格、資本主義というシステムの意志と考えた方がいいと思います。その最終的な局面として、グローバリゼーションのようなものが出てきている。つまり資本主義的成長が、国の内外を問わず地球規模で富みを掻き集め、集積するという段階に入っている。そこで一義的に追及されるのは収益性であり、めざされるのは合理化や効率化です。
ところが人間というのは、非常に効率が悪い。一人一人に個性や性格があり、感情や好みがある。性別や民族、宗教といった違いもある。こうした差異は、効率化を進める上で大きな障害になります。そこでどうするかというと、人間を断片化して、個々の機能や専門性としてシステムのなかに取り込むわけです。ぼくが法廷で語りかけたのは、国や電力会社、あるいは司法といった組織のなかで、それぞれの専門性をもって振舞い、組織の論理や利害を代弁する人たちでした。彼らは一つの抽象的な機能や役割に還元されている。だから人間に向かって喋っているという感じがしなかったのだと思います。それが広く、社会全般に見られる現象になっている。
いま、ぼくたちの社会で起こっている顕著な現象は、人間が消えていくということではないでしょうか。漱石は日本の近代化について「淋しさ」ということを言ったわけですが、それから百年経ち、グローバリゼーションという新しい局面が展開していくなかで、もはや「淋しさ」という言葉では済まなくなって、人間そのものが消えかかっていると言うべき状況が、ぼくたちの社会だけでなく、世界中で広範に起こっているのだと思います。「人間」という概念も、「歴史」という概念もいらなくなって、たんに「事実」と言っておけば済むような状況が、現実に生まれつつある。こうした状況のなかで、ぼくたちはどういう言葉をもてばいいのか。どういう言葉をもちうるのか。
ぼくは小出裕章さんという方を、たいへん立派な方だと思っていますし、小出さんがされている活動には文句のつけようはないんですけれど、一方で、たとえば関東以北のかなり広い範囲が、人が住めないレベルで放射能に汚染されていると言われても、じゃあそこに住んでいる人たちはどうすればいいんだ、ということをどうしても考えてしまいます。仮に、自分の住んでいるところの放射線量が、放射線管理区域レベルですよと言われても、坂口恭平さんのモバイル・ハウスみたいなもので生活している人は別でしょうが、普通の人はすぐには動けないと思うのです。
一人一人がいろんな事情を抱えて生きている。親を介護している人もいるでしょうし、仕事の関係で離れられないという人も多いでしょう。子どもは子どもで、親は町を出ると言っているけれど、好きな女の子の一家は残ると言っている、どうすればいいのか……とか。ぼくのやっている小説は、細部をおろそかにしない、というのが唯一のとりえみたいなものですので、そういうことをいろいろ考えるわけです。すると小出さんの仕事や発言は、非常に良心的なものであることは疑いようがないのですが、やはり専門家としての仕事であり、専門家としての発言だなあと感じます。
一人の人間が生きるということは、様々な事情を含みもっています。簡単に思い切れない複雑な理由を幾つも抱えている。そもそも人間という存在自体が、けっして一般化できない、合理性では片付かない面をもっている。それは人間の人間性の根底に、自由や主体性ということがあるからでしょう。これを否定されることは、人間性を否定されることに等しい。だから人が生きることのなかには、収益や効率性に回収されない部分が残る。それは市場主義やグローバリゼーションにたいする、大きな歯止めにもなっているはずです。一方で、自分の住んでいるところが放射能に汚染されているとわかっていて、その危険性を理解していてもなお、そこで生活しつづけるという選択をする人が出てくるのだと思います。彼らの意志を尊重しなければならない。その上で、救済ということを考える必要がある。ぼくたち自身を見捨てないためにも、そういうふうに考えていくべきだと思います。
たとえば海外の人たちから見れば、東北や関東の一部がどうというのではなくて、日本全体が放射能で汚染されている、どうしてそんな国に住みつづけているのだ、ということになるかもしれない。近い将来、汚染は日本全土に均質に広がっていくと思いますが、仮に日本中の放射線量が健康に支障を来しかねないレベルになっても、海外へ移住する人は少ないと思います。やはり自分の国で、これまで自分が生きてきた土地で、放射能とともに生きることを選択する人が大半でしょう。すると福島の現在は、ぼくたちの未来であると考えることができる。
いまの脱原発運動は、原発の安全性とコストの面から世論に訴えるというスタイルをとっています。しかし原発は危険ですよという議論は、ある意味、そこで終わってしまう。どこへも行けない議論だという気がします。極端に言えば、被害が拡大し、深刻化し、癌や白血病で苦しむ人が出てきたときに、ほら、私たちの言った通りでしょうということにしかならない。そういう訴え方は、社会を変える力にはならないと思うのです。なぜなら放射能とともに生きていかなければならない、ぼくたち自身のことが組み込まれていないからです。
たしかに原発は非常に危険なものであり、事故が起これば収束ははなはだ困難だということは、今回の事故ではっきりしています。使用済み核燃料の処理方法もわからないし、廃炉の技術も確立されていない。だからぼく自身は、原発はただちに廃止すべきだと思っています。コスト面から見ても、地元自治体への交付金やPR費用のようなもの、発電が終わってから発生する、いわゆるバックエンド・コストまで算入すれば、原発の発電単価は火力発電などと比べて、かなり高いことがわかっている。さらに今後の安全投資や賠償費用まで上乗せすれば、市場原理に照らし合わせても到底実用的ではないでしょう。
そうした原発の危険性やコスト面での不合理さをアナウンスしていくことは必要だと思います。しかしそれだけでは足りないと思うのです。原発をめぐって、ぼくたちはずっと学者や専門家の説明を聞かされてきました。福島の事故が起こるまでは、推進の立場に立つ人たちが、原発は安全だと言いつづけてきた。事故が起こってからは旗色が悪くなって、いまは原発の危険性を訴える人たちの発言が重視されるようになっている。原発からの脱却をめざすぼくたちの活動も、やはり学者や専門家の意見、彼らの提示してくれるデータに多くを依拠しています。
しかし知識が知識であるかぎり、情報が情報であるかぎり、それを必要とする人たちのなかにしか浸透していかないと思います。ぼくのまわりには原発は必要だ、いまあるものは活用すべきだ、という人たちもかなりいます。彼らと話していて感じるのは、自分の欲しい知識や情報だけを使っているということです。自分が聞きたいことだけに耳を開いている。アメリカのものはだめだが日本製の原発は安全だとか、自然界にも放射能はあるのだから、少しくらい放射能を浴びても大丈夫だといった議論になるわけです。これはぼくたちも同様で、自分の欲しい知識や情報だけを使っている面はあるでしょう。そういう取捨選択を、意識・無意識のうちに誰でもしているわけです。
だから原発の危険性を訴えても、通じる人には通じるけれど、通じない人には通じない。同じ考えの人には共感をもって受け入れられるけれど、それ以上には、なかなか広がっていかない。結局、脱原発という一つの立場になってしまう。それでは現状を変える力、いまある現実を超える力にはなっていかない気がします。脱原発の立場として、ぼくたちが人間の人間性に触れるような言葉をもつことができるかどうか。立場を超えて言葉を届かせることが、いま問われているように思います。そこがいちばんの考えどころだし、そうした言葉をもちうるとき、ぼくたちの運動に人間としての心が入るといいますか、賛成や反対といった立場の違いを超えて、一つ高い次元に立つことになると思います。
非常に困難なことですが、ぼく自身は自分のやっている文学を通して、そういうことを考えつづけたい。それが人間を蘇生させるということではないかと思います。
(2013.9.21 福岡市糟屋町サンレイクかすや)