> 2012年6月のブログ

ネコふんじゃった2006(シーズン1)

1)冬の夜はビル・エヴァンスを聴きながら

 朝は七時に起きて、パンとヨーグルトと季節の果物と野菜ジュースの朝食、コーヒーを淹れ、まずはCDを一枚。これで心身の状態がわかる。コーヒーが美味しく、聴きたいCDがすぐに見つかる日は調子がいい。八時ごろから仕事をはじめ、十時に緑茶を淹れて一休み。もうひとがんばりして、十二時には切り上げる……というのが一日の骨子。一年三百六十五日、ほとんど変わらない。
 午前中の執筆の時間以外、たいてい何がしかの音楽を聴いている。ロックとジャズがそれぞれ四、クラシックが二といったところか。積極的に聴くというよりも、聞き流していることが多い。だから家のあちこち、リビングやダイニングや書斎や寝室や、できれば風呂やトイレにも、音楽を再生できる装置が欲しい。ぼくにとって音楽は、過去や未来から、様々な匂いを運んできてくれる風のようなものだから。
 ビル・エヴァンスの好きな作品はたくさんあるけれど、最近は『ムーン・ビームス』をよく聴いている。いわゆるバラード集で、似たような曲がつづく。まるで誰かの日常のようだ。気にせずに、リピートで再生しよう。ジャスミン茶など淹れて、読書をなさるのもよろしいかと。そのうち耳に残るフレーズが出てくる。「あっ、これ好きだな」という曲が一つ、二つと増えていく。とらえどころのなかった一枚のCDに、少しずつ目鼻立ちがついてくる。
 甘いバラードでも、エヴァンスさんは常套的な弾き方をしないので、いつまでも飽きない。そんなふうに単調な毎日とも、代わり映えのしない自分とも、飽きずに付き合っていきたい。
  (ビル・エヴァンス『ムーン・ビームズ』)

2)曇りのち晴れ、ときどきネコ

 飼い猫の名前は「ヒース」、と聞いて「ああ、『嵐が丘』か」と思われたあなた、するどいけれどハズレです。出典は吉田秋生さんの『カリフォルニア物語』。
 一歳半のアメリカン・ショートヘア(♂)で、幼少のころは名前にふさわしく、なかなかに凛々しい顔立ちだった。ところがその後、栄養がよかったのか体質が祟ったのか、もこもこと太りはじめ、いまや『カリフォルニア物語』というよりは『ドラえもん』。鋭角的な線はことごとく崩れ、お腹などぷよぷよして、これじゃあ「ヒース」の名が泣くぜ、我々からは「ヒーちゃん」、どうかすると「ピーたん」などと呼ばれて恥じ入るところがない。まあ、猫に矜持を求めても仕方ないのだけれど。
 はじめて猫を飼ったのは高校一年のときだった。近所の浪人生からもらってきた三毛猫(♀)で、名前は「寝図美」。こちらは遠藤賢司さんの影響です。そのころよく聴いていたレコードに、ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』がある。彼の最大の魅力は、ちょっと物悲しいメロディの美しさ、そして幼い子どものような独特の声だと思う。ピアノだけを伴奏にうたわれるタイトル曲や「バーズ」など、目を閉じて聴いていると、段ボールに入れて空き地に捨てられた子猫が、箱のなかから冷たい冬の空を見上げている情景が瞼に浮かぶ……気がしませんか?
 ロック、フォーク、カントリー、パンク、ロカビリー、テクノ、ジャズ……と、いろんなタイプのアルバムを作ってきたヤング氏ですが、同じようなテイストの作品としては、『ハーヴェスト』や『今宵その夜』などがおすすめです。
  (ニール・ヤング『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』)

3)ポール・サイモンとフランク・ロイド・ライト

 中学一年生のときに、はじめてサイモン&ガーファンクルのシングルを買った。「コンドルは飛んで行く」だったと思う。いや、「バイ・バイ・ラブ」だったかな。どちらかのB面が「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」で、ぼくはこの曲がすっかり気に入ってしまった。いまでの彼らの曲のなかで、いちばん好きかもしれない。
 ロイド氏が、帝国ホテルなどを設計した高名な建築家であると知ったのは、ずっと後のことで、最初は明かりのことだと思っていた。さようなら、フランク・ロイドの灯火……。曲は生ギターの伴奏で静かにはじまり、途中からストリングスとコンガが入ってくる。フルートの間奏が洒落ている。目をつぶって聴いているとほら、遠ざかっていく船のデッキから、フランク・ロイドの桟橋にともる薄暗い明かりを見送っているような気分になりませんか?
 とにかくまあ、そんな経緯があったので、新しい家に引っ越したときに、何かライト氏のデザインした家具を入れたいと思った。チェアやスタンドライトや、欲しいものは幾つかあったけれど、実用性を考えてコーヒーテーブルにした。重厚でありながら洗練されていて、なかなかいい感じだ。
 今日は朝から灰色の雲が垂れ込め、ときどき雪まじりの雨が降っている。サイモン&ガーファンクルを聴くには最適の日だ。さっきスターバックスから買ってきた豆を挽いて、熱いコーヒーを淹れよう。リビングの窓から、埋め立てを逃れた運河のような海が見える。靄の向こうに、幻のフランク・ロイドの灯火が見える。
  (サイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋』)

4)春には花の苗を植えて

 今年の冬は寒さが厳しく、雪もたくさん降ったりして、なかなか手ごわかった。梅も水仙も、例年にくらべて開花が遅れているとか。でも三月を過ぎると、さすがに暖かい日も増えてくる。朝六時ごろに起きてカーテンをあける。東の空が白っぽく明るんでいる。その時間が、少しずつ早くなっていて、季節の進んでいることが実感される。
 この時期、きまって聴きたくなるのが、ロジャー・ニコルズのこのアルバムだ。一曲目のタイトルは「待たせないでおくれ」。ヴァイオリンのピチカートとともに軽快にはじまる。男性のヴォーカリストはかなり文化系だけれど、曲のイメージとアレンジに合っている。途中から女性の声がかぶさってくると、本当に「もう待てない!」という気分になって、春めく街に飛び出して行きたくなる。
 ビートルズやバート・バカラックの秀逸なコピーあり。陰影に富んだニコルズのオリジナルも素晴らしい。それらがバランスよく並んで十二曲、昔のレコードはLPでも三十分ちょっと。短いけれど、お腹はいっぱいだ。すぐれたミュージシャンたちの小さな輪があやなす、魔法のような時間が詰まっている。
 このアルバム、リリースは一九六七年だが、長いあいだ幻の名盤状態で入手が難しかった。ぼくも音楽雑誌などでジャケットとタイトルは知っていたものの、大人になるまで実際の音は聴いたことがなかった。現在はソフトロックの必須アイテムになっているようで、簡単に手に入ると思います。
 (ロジャー・ニコルズ&スモール・サークル・オブ・フレンズ『同』)

5)グールドの演奏する小さなバッハ

 いちばん好きな楽器はピアノ。だからクラシックとジャズを問わず、ピアニストたちのCDはたくさん持っている。なかでもグレン・グールドのバッハは特別だ。どんなふうに特別かというと……。
 本を出版するまでの行程の一つに、校正という作業がある。ぼくの場合、これにずいぶん時間をかける。何度もゲラを出してもらって、その都度手を入れながら、一年近くかかってしまうこともある。初稿の完成度が低い、ということでもある。
 すでに書き上げた原稿を直していくわけだから、あまり新鮮味はない。うまく書けていないところは、難しい場面でもある。なんとかクリアするには、集中力と粘り強さが必要だ。時間をかけて、毎日少しずつ進める。
 ちょっと億劫でもある作業のあいだ、グールドのバッハを小さな音で流していることが多い。不思議と気持ちが落ち着き、仕事に没入できる。彼の演奏は有機的で、とこを切っても血が流れている感じがする。さらに粒の揃ったタッチと、切れのよいリズムによって、清潔で心地よい躍動感が生まれる。
 ぼく自身は『平均律』にいちばん愛着をおぼえるけれど、はじめての方はこの一枚から。バッハの組曲、曲集のなかから、比較的易しい曲を集めてある。題してリトル・バッハ。うまい企画とタイトルだ。ゼンオンの楽譜だと、星二つくらいで弾ける曲がほとんど。ガボットやジークなどの小品も、下手なりに充分バッハしている気分になれる。挑戦してみられるのも一興かと。
  (グレン・グールド『リトル・バッハ・ブック』)

6)トム・ジョビンは白湯の味?

 一年半ほど前から気功の教室に通っている。ぼくが教わっている先生のモットーは、「無理をしない、がんばらない」という、間違っても校訓などにはならないような代物だ。そんなところも自分には合っていると思うので、案外長つづきしそうな気がしている。
 あるとき師の曰く、ストレスなどで身体が緊張していると、繊細で微妙な味がわからなくなる。甘い方へも辛い方へも、味付けが濃くなっていく。ファストフードやファミリーレストランの食べ物みたいな、どぎついものを好むようになる。いまの若い子がマヨネーズ味などを好むのは、味覚が鈍っているせいではないか。リラックスを心がけ、白湯を味わうくらいの余裕が必要である、と。なるほど。
 まさに白湯のようなアルバムである。ラップやヒップホップなど、今風の過激な音に慣れた耳には物足りなく聞こえるかもしれない。イージーリスニングととらえる向きもあるだろう。たしかに薄味ではあるが、水っぽくない。塩や醤油は控えめ、でも昆布や鰹の出汁がしっかり効いている。だから何回聴いても飽きない。聴けば聴くほどに、味わい深い。こういう音楽を聴いて、しみじみ「いいなあ」と感じられる時間を、日々の暮らしのなかに持ちたいものである。
 キリンが波打ち際(実際は草原だと思う)を駆けている写真も素敵だ。このジャケット、国内盤はバックの色が赤なのに、なぜか輸入盤は緑。ぼくは緑の方が神秘的で好きですが、皆さんはいかがですか?
  (アントニオ・カルロス・ジョビン『WAVE』)

7)音の飛ぶ「ペグ」を聴いていたころ

 学生のころ、同じ下宿に財前君という友だちが住んでいた。二人ともロックが好きだったので、新しいレコードを買うと、お互いに貸したり借りたりしていた。借りたレコードはテープに録音して楽しむ、というのが一つのスタイルだった。あと、FMラジオからのエアーチェックという手もあった。だから性能のいいカセットデッキとチューナーは、当時の音楽好きには必需品だった。
 このスティーリー・ダンのレコードも財前君が持っていた。それを借りてテープに録音したものを、ずっと聴いていた。四曲目の「ペグ」、ジェイ・グレイドンのギター・ソロの途中で音が飛んでいる。レコードでは、よくある出来事。いや、本当はあってはいけないのだけれど、安普請の下宿だから仕方ない。ちょっとした振動が、ミシミシいう畳に増幅されてターンテーブルに伝わり、いとも簡単に針が飛んでしまうのである。それがそのまま録音されてしまった。
 いまはCD、最新のリマスター盤で聴いている。でも「ペグ」のギター・ソロになると、音が飛びそうで心配だ。もうすぐ、あと少し……と身構えてしまう。もちろんCDだから音は飛ばない。でも音の飛ばない「ペグ」は、正しい「ペグ」ではないような気がしてしまう。ヘンなの。
 曲の良さでは前作『幻想の摩天楼』、サウンドの緻密さでは次の『ガウチョ』、演奏のダイナミズムでは本作、というのが現在のぼくの評価。山口小夜子のジャケットもイケてます。
  (スティーリー・ダン『エイジャ』)

8)岡倉天心もびっくり、一期一会の音楽

 その昔、ジャズ・クルセイダーズというバンドがありました。ジュニア・ハイスクール仲間だった四人がバンドを結成したのは一九五二年といいますから、とんでもない昔です。七十年代はじめ、バンド名をシンプルに「クルセイダーズ」と改め、ファンクやR&B色の強いサウンドを打ち出す。さらにフュージョン、ブラコンと飽くなき音楽的変遷をつづけていく彼らが、寝起き声でボサノバをうたっていた今回の主人公であるマイケル君と出会ったのは一九七五年のことでした。ちなみにプロデューサーはトミー・リピューマ、録音がアル・シュミット、編曲がニック・デカロ……これ以上、何を望めばいいのでしょう。
 マイケル君の歌はボソボソとメリハリがなく、けっして巧くはありません。どちらかというと素人っぽい。でも不思議と耳に馴染むのですね。アストラット・ジルベルトなどとも似たテイストです。この抑揚のないヘタウマ歌が、前記の鉄壁な布陣によって繰り出されるサウンドに乗ると、まさにクオリア降臨ともいうべきワン・アンド・オンリーの音世界が立ち現れるのです。心地の良い音。夏の夜にクーラーの利いた部屋で、冷たい果実酒などとともに楽しみたい音楽です。
 タイトルの「アート・オブ・ティー」というのは茶道のことだそうです。このアルバムがデビュー作で、同じスタッフによる二枚目、ニューヨークの腕利きミュージシャンをバックにした三枚目、ジョン・サイモンをプロデューサーに迎えた四枚目と、お楽しみはまだまだつづきます。
  (マイケル・フランクス『アート・オブ・ティー』)

9)地球にやさしいショーターのサックス

 農学部の学生だったぼくたちは、三年生の夏に北海道研修旅行があった。帯広で乳牛に蹴飛ばされたり、中標津あたりで道産子に追いかけられたり、札幌でラーメンまみれの食生活を送ったりして、ぼくはすっかりスケールの大きな人間となり、髪も髭も伸び放題、ワイルドな風貌で東京の友だちのアパートに転がり込んだ。
 二人ともお金がなかったので、毎晩ホットプレートでキャベツともやしだけの焼きそばを作ってビールを飲んだ。そして昼は下北沢あたりの喫茶店で、アメリカン・コーヒー(流行っていた)を飲みながら時間をつぶすのだった。その店で、このレコードがよくかかっていた。
 ウェイン・ショーター。名前はかっこいいが、ぼくにとってはいまひとつピンとこない人である。何をやりたいのかわからない。当時在籍していたウェザー・リポートにしても、とりあえず誘われたからメンバーになりました、という感じだった。このアルバム、発案者は奥さんだとか。主体性が希薄というか、ほとんど則天去私の人である。そんなアナタが好きでした。
 一応、彼のリーダー作ということになっているけれど、半分くらいの曲でヴォーカルをとるミルトン・ナシメントの声の印象があまりにも強烈で、なんとなくショーターの影は薄い。主役のはずなのに脇役っぽい。それでいいのだ。でしゃばらない、無用なブロウはしない。でも、彼にしか吹けないフレーズ。これが本当のクールビズ。かっこいい。
  (ウェイン・ショーター『ネイティブ・ダンサー』) 

10)いつかはジョアン・ジルベルトのように

 年に数回、仕事で東京へ行くことがある。出版社が近いので、たいてい一日は、御茶ノ水から神保町の界隈をうろうろする。あのあたりって、どうしてカレー屋と楽器店が多いのだろう。過日、そんな中古楽器店の一つにふらりと足を踏み入れた。スペイン製のクラシック・ギターでいいのが入っていた。正目のボディが美しい。値段も手ごろだ。さっそく前金を一万円だけ払った。
 ボサノバと呼ばれている音楽において、ギターの果たす役割はきわめて大きい。ギター一本でボサノバの演奏は成立してしまう、と言っても過言ではない。すなわち右手の親指でルート音を刻み、残りの三本(小指は除く)で変則的なシンコペーションのリズムを奏でる。うまく組み合わせると、あの粋でクールなビートが生まれる。なんてインテリジェント! そうした奏法を発明したのが、今回登場のジョアン・ジルベルト先生である。いや、気安く「先生」などと言ってはいけない。人は彼を「神様」と呼ぶ。
 このアルバムは、神様のギターと声だけでほとんどが作られている。まずは一曲目の「三月の雨」を聴いてみてほしい。おそるべきリズム感である。ギターのみならず、ヴォーカルにおいても。「ポルトガル語って、なんて美しい言葉だろう」と思わずにはいられない。ちょうどカレン・カーペンターの歌を聴くとき、「英語って、なんて美しい言葉だろう」と嘆息を禁じえないように。
 というわけで、今日も「イパネマの娘」を練習しよう。オーリャキコイザマイジリンダ~。
  (ジョアン・ジルベルト『三月の水』)

11)セピア色のビーチ・ボーイズ

 手ごわいバンドである。なかなか一筋縄ではいかない。三十枚近いオリジナル・アルバムのなかに、駄作は一枚もない。どのアルバムにも、ちゃんと聴きどころがある。このアルバムは十五枚目だから、ちょうど折り返しということになる。デビューから六年、セールス的にはどん底の時期だったらしい。
 一作ごとに進化しながら、『ペット・サウンド』にまで登りつめていく全盛期の勢いは、たしかにない。サーフィン、ホットロッド……といった初期のわかりやすいイメージも、すでに過去のものとなっている。でも夏が終わり、太陽の光の色が変わり、浜辺にも秋の気配が漂いはじめるころ、ぼくはこのアルバムが無性に聴きたくなる。
 とにかく各楽曲のクオリティが高い。地味だけれど、味わい深い曲が並んでいる。全体にくすんだ色調、穏やかで、落ち着いたサウンド、バンド名がビーチ・ボーイズなのは困ったものだけど、一皮剥けて大人になった音である。これまで天才の兄・ブライアンの陰に隠れていた次男坊・デニスが才能を発揮しはじめたのも、このアルバムから。他のメンバーもそれなりに頑張って、タイトルが『フレンズ』。いいなあ。
 ビーチ・ボーイズの一連の作品として聴くよりも、これだけ取り出して、たとえばサークルの『ネオン』やハーパース・ビザールの『シークレット・ライフ』のような同時代のアルバムと並べて聴いた方が、良さがわかるかもしれない。この時期の彼らのアルバムでは、『サンフラワー』もオススメです。
  (ビーチ・ボーイズ『フレンズ』)

12)天才たちの青春賦

 季節が冬に向かう時期、朝起きてまず、このCDをかける。一曲目の「ブライト・サイズ・ライフ」を聴くと、今日もいいことがありそうな気がする。いや、今日もいい一日にしようと思う。
 パット・メセニーとジャコ・パストリアス。二人の若き天才ミュージシャンの、一期一会の競演盤。曲の冒頭、メセニーが弾くフレーズの、なんと魅力的なことか。それだけで、このアルバムが名盤だということがわかる。ギターの音色もフレージングも、すべてが新鮮だ。
 さらに驚きだったのが、ジャコのベースの音だ。こんな音が、この惑星に存在することを、それまで誰も知らなかったのだ。やがてウェザー・リポートに迎えられた彼は、ジョニ・ミッチェルのアルバムなどに数々の名演を残しながらも、しだいにドラッグに溺れ、ホームレスのような生活をしながら、最後は街のチンピラに殴られて三十五年の生涯を閉じる。
 そんな悲劇的な結末を、このアルバムから予感することは難しい。パットもジャコも、ほどよい緊張感のなかで、ひたすら音楽を楽しんでいるように聞こえる。つぎからつぎへ斬新なフレーズが溢れ出てきて、どの曲も一気呵成に駆け抜ける。このとき音楽の女神は、二人に微笑みかけていたに違いない。
 天才の名をほしいままにしたミュージシャンにも、一瞬の輝きというものはある。それをあからさまに記録するという点で、レコード(CD)は残酷な媒体だ。さあ、心して、今日も音楽を聴こう。
  (パット・メセニー『BRIGHT SIZE LIFE』)