特集

成長

成長戦略などという言葉を得意げに口にする人たちを見ていると、彼らの頭のなかは明治維新のころから変わっていないんじゃないかと思う。経済成長によって、人が幸せになったり豊かになったりすると、本気で思っているのだろうか。だとしたら、ますます正気ではない。

日本中の自治体がゴミ処理に苦慮していることを見ても、ぼくたちがモノを作り過ぎ、使い過ぎていることは明らかだ。この上、GDPを増やしてどうしようというのか。総生産量が足りないのではなく、配分の仕方が間違っているのである。グローバルな経済格差の問題まで考えるなら、ぼくたちがめざすべきは、豊かに、幸せに貧しくなっていくことだろう。

経済成長とは、人がお金に依存して生きるようになることでもある。すでにぼくたちは、過度にお金に依存して生きている。それは経済や政治の変動が、将来の不安に直結することを意味している。そうした不安を麻痺させるために、「力強い経済成長」などという、誰がどう考えても不可能な目標が設定される。その一方で、原発を海外へ輸出し、将来、自分たちが被る脅威や危機を好んでつくり出そうとしている。

国や政府に何かを期待する時代は終わっている。彼らにできるのは、要するにお金を使うことだ。しかしお金でどうにもならないから、こういうことになっているのである。日銀にできることは限られている。金融経済の拡大によって、もはや中央銀行といえども貨幣をコントロールすることはできない。また物価下落の背景には、世界経済の供給構造の変化があり、これも一国の政府や中央銀行で解決できる問題ではない。

政府も日銀も無力である。だが、ぼくたちは無力ではない。ただ無力感にとらわれているだけだ。無力感を乗り越えるためには発想の転換が必要だ。まず「成長」の観念を変えよう。成長とは何か?
よりシンプルな生き方をめざすこと、暮しやすいコミュニティを築くこと……いずれにしても生産を拡大し、消費を増やすことが成長ではない。そこから考えはじめよう。