> 2013年3月のブログ

ネコふんじゃった2007(シーズン3)

25)冬の夜は暖かい部屋でウィリー・ネルソンを聴こう

 カントリーの人である。カントリー・ミュージックというのは日本の民謡みたいなもので、ぼくのような者にはみんな同じに聞こえる。だから、どうしても敬遠してしまう。このアルバムは、あまりカントリーっぽくない。誰でも安心して(?)聴ける、大人の音楽になっている。ポイントは取り上げられている曲と、プロデューサーだろう。
 まず選曲。タイトル曲をはじめとして、ここでうたわれているのは、「我が心のジョージア」「オール・オブ・ミー」「アンチェインジド・メロディー」といったスタンダードである。いわゆるカントリー・フィールドの曲は入ってないかわりに、「ヴァーモントの月」みたいにシブい曲が入っている。
 プロデュースはブッカー・T・ジョーンズ。スタックス・レコードのハウス・バンド、MGsのリーダーとしてオーティス・レディングなどのバックをつとめてきた、もともとはR&B系の人である。彼のコンテンポラリーなアレンジが素晴らしい。シンプルで言葉少なめな演奏に、ハーモニカとジョーンズ自身の弾くオルガンが、軽いアクセントをつけていく。そこにウィリーさんの年季の入った鼻声が乗っかると、絶妙な味わいが生まれる。
 曲、アレンジ、演奏、歌と三拍子も四拍子も揃った、本アルバムは好評だったらしく、このあと同じ趣向のアルバムが何枚かつづく。国内盤は『モナリザ』『青い影』『枯葉』と、日本人に馴染み深い曲をタイトルに冠しているが、すべてオリジナルのタイトルとは異なる。
  (ウィリー・ネルソン『スター・ダスト』)

26)あのころは毎日のように、ビリーの歌が聞こえていた

 あのころというのは、一九七七年から七八年ごろのこと。たとえば友だちの下宿やアパートを訪れる。するとFMラジオか何かから、『はぐれ刑事純情派』みたいな口笛が流れてくる。そしてはじまる「ストレンジャー」。もういい加減にしてくれ! と思うころには、「素顔のままで」にバトンタッチ。さらに「ビッグ・ショット」に「マイ・ライフ」に「オネスティ」と、ほとんど百発百中の観があった。あのころのビリー、瞬間最大風速では、かのポール・マッカートニーをも凌ぐのではないか。
 しかし二十年間にわたってヒット曲を作りつづけたマッカートニー氏にたいし、ビリーの方はほぼ二年間。アルバムでいうと『ストレンジャー』と『ニューヨーク52番街』の二枚が、絶頂期のすべてであると言っていい(のか?)。「素顔のままで」の入った『ストレンジャー』も素晴らしいが、トータルな出来栄えでは『ニューヨーク五二番街』の方がわずかに上回る気がする。前記のヒット曲だけでなく、すべての曲がいい。長い曲でも冗長な部分がなくなり、最後まで流れが途切れない。ジャケットも(『ストレンジャー』よりは)カッコいい。
 前作にも見られたジャズ的なアプローチはさらに洗練され、マイク・マイニエリのヴィブラフォンなどがいい味を出している。「素顔のままで」では、フィル・ウッズのアルトサックスが素晴らしい効果を上げていた。それに味を占めてか、今回は「ザンジバル」にトランペットのフィレディ・ハバードを起用。さすがに貫禄のソロをとっている。
  (ビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』

27)冬の寒い朝に聴きたい、透明感あふれるデュオ

 ここ福岡では、雪が積もることは一年に一度あるかないか、氷が張るなんて事態は、もう何年も記憶にありません。やはり温暖化の影響でしょうか。ぼくが小学生のころには、郷里の四国でも、冬になるとよく氷が張っていました。池や水溜りに張った氷を割りながら、学校へ通うのが楽しみでした。トタン屋根に大きなツララがぶら下がっているのも、これは小学校に上がる前だったか、見たおぼえがあります。そういう寒い朝は、掃除の時間にバケツに汲んだ井戸水が、とても温かく感じられました。
 チック・コリアとゲーリー・バートンが、七十年代のはじめに共演したこの作品は、ジャケットのせいか、それとも録音されたオスロという街のせいか、どこか北欧の夜明けを思わせる、凛とした透明感があります。もともとヴィブラフォン(鉄琴)という楽器には、クリスタルなイメージがあるようです。とくにバートンの演奏は、音色といいフレーズといい、ミルト・ジャクソンなどにくらべてクリスタル度が高い感じです。チック・コリアのピアノとも、相性はぴったりです。
 コリアの作品に加えて、スティーブ・スワロウという人の曲が取り上げられています。彼はスタン・ゲッツのバンドにいたころからのバートンの同僚で、不思議な浮遊感のある、いい曲を書く人です。本業はベーシスト。最初はアコースティックでしたが、のちにはエレクトリック・ベースも弾いています。カーラ・ブレイやジョン・スコフィールドとも共演している、面白い人です。
  (チック・コリア&ゲーリー・バートン『クリスタル・サイレンス』)

28)ジョン・セバスチャンは、たんぽぽみたいなミュージシャンです

 今年は一月が暖かく、このまま春になったのではありがたみがないな、と思っていたら、二月になってようやく寒くなってくれた。北国の人には叱られるかもしれないけれど、やっぱり冬はきちんと寒い方がいい。こちらは立春を過ぎると、風は冷たくても日差しはさすがに春めいて、散歩の途中で、庭に紅梅・白梅が咲いているのを目にしたりする。畑の土手などに水仙が咲いているのを見つけると、思わず足を踏み入れて鼻を近づけてみたくなる。あと、たんぽぽって、好きだなあ。「蒲公英」と漢字で書くと、何か別の花みたいで、そういうところも気に入っています。
 大作曲家のファーストネームとミドルネームを名前にもつ、この人。やっている音楽は、名前ほどいかめしくない。むしろ「ほのぼの」とか「ふわふわ」といった、ハ行系の修飾語が似合う人である。ぼくなどは昔から、たんぽぽみたいなミュージシャンだなあ、と思っていた。どこがたんぽぽなのかと、あまり深く問われると困るけど。
 これはラヴィン・スプーンフルを離れた彼が、一九七四年に発表したソロ・アルバム。不遇時代とされているけれど、それがかえって幸いしたのか、のんびりした「たんぽぽ度」の高い作品に仕上がっている。曲も演奏も素晴らしい。リトル・フィートのローウェル・ジョージが参加しているのも嬉しい。大好きなエイモス・ギャレットが、いつもながら渋いギターを弾いているし、ライ・クーダーも一曲だけ入っている。聴きどころの多いアルバムである。
  (ジョン・セバスチャン『Tarzana Kid』)

29)ヴァン・モリソンに駄作はない

 たぶん、ないと思う。そういうことにしておこう。駄作はない、と断言できないのは、三十枚以上出ている彼のアルバムを、すべて聴いたわけではないから。でも、半分くらいは聴いている。それで言えることは、どのアルバムも、やりたいこと、歌いたいことがはっきりしているということ。惰性でなんとなく作っているものは一枚もない。このあたりが「駄作はない」という世評にもつながっているのだろう。
 とはいえ、十分や十五分という長い曲がごろりと入っていたり、ほとんど詩の朗読みたいな曲があったりと、はじめて聴く人にはとっつきにくい作品があるのも確か。初期の『ムーン・ダンス』や、円熟期の『アヴァロン・サンセット』、『エンライトメント』あたりから入るのが無難かもしれない。
 今回取り上げたアルバムが発表されたのは一九七九年、彼のキャリアでは中期と言っていいと思う。ソウルやゴスペルなどのブラック・ミュージック、それにジャズの要素を加えて曲を作っていたころを初期とすれば、このころは、彼がアイルランドやケルトの民謡を積極的に取り入れていく時期にあたっている。そのブレンドの加減がとてもいい。
 ヴォーカリストとして圧倒的な力量をもつ人なので、見落とされがちなのが、コンポーザーとしての資質かもしれない。このアルバムも、とくに前半は、ポップな曲が並んでいる。どんなにポップでも、彼のつくる曲には風格がある。メロディの美しい曲も、甘く流れる感じにはならない。そこが素晴らしい。
  (ヴァン・モリソン『イントゥ・ザ・ミュージック』)

30)二人は別れてしまったけれど

 イギリスのフォーク・ロック・バンド、フェアポート・コンヴェンションの中心メンバーだったリチャード・トンプソンが、バンドを脱退した後に奥さんのリンダと結成した夫婦デュオの、これはラスト・アルバムにして最高傑作。
 リチャードの個性的なギター・プレイとソングライターとしての才能は、フェアポート時代から高く評価されていた。しかしバンドはしだいにトラディショナルな色合いを強め、イギリスやアイルランドの民謡などを多くレパートリーに取り入れるようになる。そのあたりが不満だったのか、デュオになってからはリチャードのオリジナルが中心になる。このアルバムも、すべて彼の曲で固められている。
 それにしても、アイデア溢れるリチャードのギター・プレイは素晴らしい。常套的な弾き方をしているところは、一箇所もない。フェアポート時代から自家薬籠としていたケルト音楽の要素に、パンク・ニューウェイブの風味も加わり、独自のロック・アルバムに仕上がっている。全八曲を、夫婦で半分ずつうたっている。これもフリートウッド・マックみたいでいい。私生活での危機を抱えていたせいか、全体に暗めだが、最後の曲などは、どこか吹っ切れた印象もある。
 このアルバムを最後に夫婦は離婚、デュオも解消。リチャードはその後もクオリティの高い作品をコンスタントに発表しつづけている。一時期、不調を伝えられたリンダも、去年は久々にソロ・アルバムを出して、元気なところを見せてくれた。
 (リチャード&リンダ・トンプソン『シュート・アウト・ザ・ライト』)

31)クラシック音楽との出会い

 中学生のころは、よくラジオを聴きながら勉強していた。そこで耳にして、好きになった曲もたくさんある。デオダードの「ラプソディ・イン・ブルー」も、そんな曲の一つだ。
 原曲はガーシュインのピアノ協奏曲。夢見るような美しいメロディが気に入ったぼくは、オリジナルも聴いてみたくなったが、なにせ相手はクラシック、自分のこずかいをはたいてまでは、と二の足を踏んでいた。ちょうどそのころ、クラシックの廉価盤というのがシリーズで発売されはじめていた。「運命」と「未完成」のカップリングで千円というやつだ。「ラプソディ・イン・ブルー」も出ている。まあ千円ならいいか。安さに釣られて、ぼくは生まれてはじめてクラシックのレコードを買うことになった。
 今回、ご紹介するCDは、デオダードのCTIからのデビュー作で、『ラプソディ・イン・ブルー』の一つ前の作品になる。この時期のCTIは、クラシックをジャズ・ロック風のアレンジで、というのがレーベル・カラーだった。ヒューバート・ローズの「春の祭典」、ジム・ホールの「アランフェス」、ボブ・ジェームスの「はげ山の一夜」といった具合である。デオダードは「ツァラトゥストラ」に挑戦している。さすがにちょっと無理があったかな。スキップして二曲目から聴きましょう。「スピリット・オブ・サマー」。題名のとおり、夏の夕暮れを思わせる美しい曲である。このあとドビュッシーの「牧神の午後」などを挟みつつ、デオダードらしい洒落たアレンジの曲がつづく。
  (デオダード『プレリュード』)

32)中学生がもらった一枚のはがき

 中学三年生の夏休みに、街のレコード屋さんから一枚のはがきが届いた。裏側に写真が印刷されていて、ストリート・ギャングみたいな柄の悪いお兄さんたちがこっちを睨んでいる。なんなんだ、この人たちは。
 それはレコード会社が作ったプロモーション用のはがきで、写真に写っている人たちは「ウォー」というバンドのメンバーだった。前年に全米ナンバーワンにもなったアルバムを、日本でも売ろうと考えたのだろう。それにしても、このあいだまでビートルズを聴いていた中坊に、東芝さんもムチャしよりますなあ。
 そんなわけで、ぼくが彼らのレコードを聴いたのは大学生になってからだ。『世界はゲットーだ』と、その前後の『オールデイ・ミュージック』、『ライブ』の三枚は本当にカッコよかった。アース・ウィンド&ファイアーやオハイオ・プレイヤーズといった同時期のファンク・バンドにくらべて、どこか無骨でダークな感じだった。はがきの写真そのまま、ストリート感覚の音というか。楽器編成はドラム、ベース、ギター、キーボードに、パーカッション、サックス、ハーモニカ。とくにリー・オスカーのハーモニカが、バンドの大きな個性になっている。
 「戦争!」という看板を掲げつづけるのは、本人たちも大変だったのだろう。やがてバンドは平和路線に転換していく。それにともなって、ぼくも彼らのレコードを聴かなくなる。しかしソウル、ジャズ、ラテンなど、様々な音楽をブレンドしたこの時期のサウンドは、いま聴いても説得力がある。
  (ウォー『世界はゲットーだ』)

33)いつもクールなデスモンドのサックス

 ポール・デスモンドというと、条件反射的に「テイク・ファイブ」の人ということになってしまうのは、致し方ないことかもしれない。彼の名前は知らなくても、あのメロディを耳にすれば、大半の人が「ああ、この曲か」となるはずである。ちなみに初演は、デイブ・ブルーベック・カルテットの『タイム・アウト』、言わずと知れた名盤ですね。
 さて、ブルーベック・カルテットが解散した六十年代の後半以降、デスモンドは精力的にソロ作を吹き込む。その最初のピークが、ミルトン・ナシメントとエドゥ・ロボの曲を取り上げた『フロム・ザ・ホット・アフタヌーン』だとすれば、晩年の傑作が、この『ピュア・デスモンド』だろう。同じカルテットでも、ピアノのかわりにギターが入っているところがポイントである。彼のアルトには、こちらの編成の方がふさわしい気がする。
 演奏されている曲は、いずれも有名なスタンダードだが、ここでは耳慣れた曲がとても新鮮に聞こえる。クールで洗練された響きのなかに、深い情感がこめられている。翌七十五年に、同じ編成で録音されたトロントでのライブ盤も素晴らしい。生涯最高とも言える名演を残して、七十七年、デスモンドは癌のために他界。享年五十二歳。
 ちなみに現行の『ピュア・デスモンド』には、ボーナス・トラックとして「ウェイブ」と「マッシュのテーマ」が入っている。ともに彼にはぴったりの曲。とくに後者は、ビル・エヴァンスの名演を思い起こさずにはいられない。
  (ポール・デスモンド『ピュア・デスモンド』)

34)水割りの味とトム・ウェイツ

 若いころは、ウィスキーの水割りを美味しいと思ったことはなかった。ああいうのは結婚式などで、時間つぶしに飲むものだった。最近は、焼酎でもウィスキーでも、お湯や水で薄く割ったものを好んで飲んでいる。歳のせいでしょうかねえ。
 水割りの味をおぼえたのは、大学生になってジャズやロックを聞かせてくれるお店に通いはじめてからだ。音楽を聴かせてもらうのが目的なので、酔っ払ってしまってはしょうがない。リクエストをするときには緊張した。目当てのレコードがかかるまで、一杯の水割りで、何時間もねばったものだ。やがてボトルのキープなどという、ませたことをはじめるようになる。
 トム・ウェイツのアルバムを聴くと、あのころのことを思い出す。とくにデビュー当初は、本人も好んで「酒場の酔いどれ詩人」みたいなイメージを身にまとっているふうだった。タバコの煙がこもった場末の酒場で、安いバーボンのグラスを片手に、夜の女たちの話を聞いている、といった図である。まあ、こちらの勝手な想像なんですけどね。
 このアルバムは、『クロージング・タイム』につづいて発売された二枚目。デビュー作にくらべると、フォービートの曲があったり、アップライト・ベースが使ってあったりと、かなりジャズィーな味付けになっている。水割りの味をおぼえたばかりの大学生にとって、いかにも「大人の音」だった。それまでロック一辺倒だったぼくは、ジャズのレコードを買ってみようかな、と思いはじめていた。
  (トム・ウェイツ『土曜の夜の恋人』)

35)アイズレーが歩んできたロング&ワインディングな道

 最初に一言。彼らの場合、ジャケットには目をつぶらなければならない。どのアルバムも、ド派手なステージ衣装に身を固めた六人のあまり美しくない男たちが、八時だよ全員集合という感じで写っている。同じパターンが「これでもか」というくらいつづく。誰か何か言うヤツはいなかったのか?
 グループが結成されたのは五十年代後半。以後、紆余曲折を経ながら、半世紀以上にわたって活動をつづける。その間には、ビートルズのカバーで有名な「ツイスト・アンド・シャウト」のヒットがあった。ジミ・ヘンドリックスがギタリストとして参加したこともあった。メンバーの急逝、離脱、逮捕などもあった。
 このアルバム(一九七三年発表)は、そんな長い彼らのキャリアのなかでも、一つのピークをなすものだろう。タイトルはヴォーカル三人に、楽器三人というメンバー構成を表している。しかも兄弟五人に一人の義弟という、完全なファミリーバンドである。ポイントは、ジェームス・テイラーの「寂しい夜」と、シールズ&クロフツの「サマー・ブリーズ」という、とびきりのカバーが二曲入っていること。おかげで数多い彼らのアルバムのなかでも、ぼくにとってはひときわ愛着のある作品になっている。
 このあと彼らは、『ライブ・イット・アップ』、『ヒート・イズ・オン』、『ハーベスト・フォー・ザ・ワールド』と立てつづけに名作を発表していく。最後に一言。くれぐれも、ジャケットは大目に見てあげてくださいね。
 (アイズレー・ブラザーズ『3+3』)