伊予弁をあやつる人たち / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 ほーなんよ、伊予弁
伊予弁について書いていくことになった。しかしぼく自身、伊予弁を喋れないし、それがどういうものなのかも、正確には把握していない。そんな状態で、一年間のエッセーを引き受けるなんて無謀だ。
そもそも伊予弁とは、どのあたりに住む、どういった人たちが喋っている言葉なのだろうか。現役の話し手は何人くらいいるのだろう。伊予弁の「伊予」が愛媛県全域を意味するものでないことは言うまでもない。かなり狭い地域に限定されるのではないか。せいぜい松山とその近郊、といったところだろうか。
たとえば漱石の『坊ちゃん』で、さんざん茶化されている「なもし」だけれど、これっていまどきの人は使うのだろうか。少なくともぼくは、実際に耳にしたおぼえがない。ひょっとすると、すでに絶滅した言葉なのかもしれない。あるいは伊予弁の雰囲気濃厚な「ぞな」も、ぼくの見るところ、絶滅危惧種に指定されるおそれがある。若い子たちが、「ぞなぞな」やっているとは思えないし。残念だ。夏の花火大会。浴衣姿の女の子。男の子が胸元にそっと手を入れる。「そんなとこ触っちゃいかんぞな」なんてのは、色っぽくていいけどなあ。
最初に生身の伊予弁に接したのは、高校生のときではなかったかと思う。宇和島の高校にも、松山あたりから赴任してこられる先生方がいた。彼らが揃いも揃って、伊予弁の使い手だった。どこか脱臼しているような、独特のイントネーション。相手を懐柔するような、また聞いている方は、思わず脱力しちゃいそうな、あの語尾ね。
「ちゃんと予習はしとるんかあ。もうちょっと勉強せな、いけんねや」
こんな感じかしら? キーワードは「脱」。何かがちょっとだけ抜けている。それが伊予弁の特徴ではないか。今回は、そういうことにしておこう。