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メディアに望むこと / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 日々是ほぼ好日

ぼくが住んでいる福岡県は、普段から暴力団の抗争が絶えないところだ。先ごろも、拳銃をぶっ放したり手榴弾を爆破させたり。死人も出ている。震災から一ヵ月も経っていないというのに。
暴力団なんて大嫌いだけれど、このときばかりは「あいかわらずだなあ」と思い、いやな感じはしなかった。
そのくらい社会をあげての「自粛ムード」に、うんざりしていたのだ。
同じころ、被災地の首長が「復興のさまたげになるので、過度な自粛は控えるように音頭をとってくれ」と首相に申し入れているのをニュースで見た。やっぱり日本人って、どこかへんだ。
各メディアは、人々の善意を発揚させて画一的なムードを作り出すようなことを、絶対にやるべきではない。
今回の原発事故にかんしては、残念ながら新聞もテレビも、ほとんどが官制の情報を流すだけだった。とくに最初の一週間くらいは、常に海外メディアに先行されていた観がある。
原子力安全・保安院は東電のスポークスマンみたいだし、テレビに出てくる学者は、パネルや模型を使って同じ説明を繰り返すばかり。出るべき情報の出ないことが、国民に不安と不信を植えつけた。そのため「健康には直ちに影響はない」と言われても、にわかに信じる気がしなくなった。「想定外」という弁明も、逃げ口上にしか聞こえなくなった。
メディアの第一義の使命は情報を提供することだ。芸能人の情報などいらんから、放射能にかんする正確な情報を出してほしい。ぼく自身は、心情的にテレビとは絶縁しているが、新聞にはまだいくらか未練があり期待もしている。たとえば原発にかんしては、役人や御用学者以外の専門家の声をもっと聞きたい。励ましの声や支援活動の報道などは、あとまわしでいいと思う。不安と不信が渦巻いているときほど、多角的な情報が重要になってくる。
それらをもとに、一人一人が何をするかを考えればいい。