> 2013年6月の特集

憲法 / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 言葉にかまけて

憲法改正の論議がかしましい。日本国憲法はアメリカによる押しつけだから、これを改正して自分たちの憲法をもたなくてはならない。それを言うなら、沖縄の米軍基地や戦後日本の原子力行政こそ、アメリカの押しつけではないだろうか。しかも日本国憲法のせいで日本人が迷惑を被ったという話は聞かないが、基地や原発は現に多くの日本人を苦しめている。まずこれらを、なんとかすべきだろう。
憲法改正を口にするのが政治家であるのも気になる。もともと憲法とは、政治家や軍人が勝手なことをしないように、国民が彼らにたいして突きつけたものである。その趣旨は、人権の尊重と権力の制限である。基地問題でも原発事故でも、多くの日本国民の人権はいちじるしく侵害されている。政治家がやるべきは、憲法改正ではなく、現行の憲法に定められたことを着実に実行に移すことだ。
改憲派の人たちは、とりあえず憲法改正の発議を総議員の「三分の二」から「過半数」にすることをめざしているようだが、憲法改正の要件が厳格であるのは、権力の濫用によって憲法が変えられ、人権が保障されなくなる事態を防ぐためである。このことの意味を、ぼくたち重く受け止めなければならない。つまり安易に九六条を改正させてはならないのだ。
では憲法改正を言っている人たちは、何をどう変えたいのか。自民党の改正草案を読むかぎり、①国民の権利を制限し、②日本を「戦争をする国」にすることだと思う。この草案の通りに憲法が改正されれば、近い将来、日本は「自衛」という戦争に巻き込まれることになるだろう。そして「国防軍」は、日米安全保障条約に則り、「国際的協調」という名のもとに、アメリカの意向で世界各地へ派兵されることになるだろう。
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を明確に宣言した日本国憲法の前文は、それらが「人類普遍の原理」であると説いている。憲法改正によっても、前文に盛られた基本原理を否定することはできない。