> 2011年12月の特集

今月の街③…六ッ門町 / 福岡ウォーカー寄稿 あの日、あの街で

かつてここには、城内警固のための門があった。その門が明け六ッと暮れ六ッに開閉することから、町の名がある。

梅雨の明けない七月の夕刻、この町を訪れた。ぶらぶら歩いていくうちに、ほとんど取り壊しを待つばかりといった感じの飲み屋街を見つけた。スナック、小料理屋、居酒屋、ギョーザ屋などが、ひっそりと営業している。そのうちの一軒に入り、ビールを飲みながら、主人に話を聞いた。油のこびりついたベニヤ板の天井がゆがんで、いまにも落ちてきそうだ。すばやく話を聞いて、ビールも飲んでしまおう。戦後、仮設住宅の住人たちが、生活の糧を得るために、住居の一部を改装して小さな店をはじめたのがはじまりらしい。いつのころからか、また誰からともなく、この界隈を「新世界」と呼ぶようになった。名前にこめられた、夢や、希望や、軽いユーモアに、遠い昭和の時代を想う。

そうだ、焼き鳥を食べなければ。今日の本来の目的は、集積度において日本一と言われる、久留米の焼き鳥を食べることだったのだ。こんばんは。ダルムとかヘルツとか、ネタにドイツ語の名前が付いているのは、医専の名残りとも聞いた。それにしても、焼き鳥といいながら、さっきから口にしているのは牛、豚、馬、イカ……であったりする。これらを焼き鳥と呼ぶのは、ちょっと無理があるのではないか、と思い悩みつつ、勧められるままにセンポコというのを食べてみる。

「これ、なんですか?」

「牛の大動脈です」

「……」

店から出ると、夕暮れの風が気持ちいい。六ッ門町のアーケード商店街では夜市が開かれていた。通りには年寄りから若い人、子どもに家族連れ、と大勢の人が繰り出している。スーパーもデパートも撤退し、集客力はすっかり低下してしまったと聞く。再開発の計画もあるらしい。しかし、風船釣りや金魚掬いや抽選会やたこ焼きや街頭ライブを求めて、これだけの人が集まってくる。いま、この国の人たちが求めているのは、モノではなく、雰囲気なのかもしれない。そんなことを、ほろ酔い加減の頭で考えながら、どこか懐かしい人肌の商店街を歩いていった。