> 2012年1月の特集

同郷の三人 / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 ほーなんよ、伊予弁

郷里の友人が、旅行の途中に立ち寄ってくれる。去年から単身赴任でこちらに来ている友だちも呼んで、一夜、大いに盛り上がる。おしゃれなイタリアン・レストランに飛び交うローカルな言葉。ワイン・リストを広げながら、「いやあ、最近はあちこちユル~なってしもうて、いけんてや」などと、枯れた話題に花を咲かせているおれたちって、なに?
三人とも高校を卒業して、しばらくのあいだ故郷を離れている。ぼくなどは福岡に住み着いてしまって、もう三十年以上になる。だから正しい郷里の言葉は、もう喋れない。かといって博多弁に染まっているわけでもなく、標準語が伊予・博多方面に訛ったような、由緒正しくない言葉を使っている。あとの二人にしても、どこか微妙に大阪弁や広島弁が混じっていて、正調なものとは言えない。
それにしても中学・高校時代の友だちとは、どうしてこうも微に入り細をうがち、具体的に打ち溶け合ってしまうのか。あの日あのとき、クラスメイトの誰がどうしたといった類の話が、いい加減ゆるくなっているはずの脳みそのあいだから、汲めども尽きぬ泉のように湧き出してきて、三十年以上も昔の出来事だというのに、それがまたいちいちおかしいのだ。まるで何かのウィルスにでも感染してしまったかのように、他人が聞いてもまったく意味不明な哄笑のうちに、ぼくたちはワインのボトルを空けていった。
ふと不思議なことに気がついた。三人の喋っている言葉が、紛れもない郷里の言葉になっている。いつのまにか純化され、土着性を取り戻している。あたかも一つの場所を目指すようにして、柔らかで滋味豊かな響きのもとへ回帰している。言葉とともに、ぼくたちもまた、あの日あのときへ戻っていくようだった。