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平和 / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 言葉にかまけて

現在の日本は、戦争がないという意味では平和かもしれない。でも平和だから安全であるとは、かならずしも言えない気がする。目下、身近なところでぼくたちの安全を脅かしているのは、まず放射能であり、もう少し視野を広げると、ウイルスやテロということになるだろう。
これらはどれも目に見えない。そしていつでも、どこでも生み出される可能性がある。福島の事故でいちばんショックだったのは、たとえ百キロ、二百キロ離れたところでもホットスポットになりうるという事実だ。原発から半径二百キロといえば、ほとんど日本中がカバーされてしまうだろう。つまりぼくたちは誰もが、潜在的に避難民ということになる。
テロに国境はない。兵士と民間人、軍事活動と経済活動のあいだの区別もない。アルジェリアの事件を見ても、それは明らかだ。人道的支援や援助活動をやっている人たちも、ただのツーリストも、あらゆる人間が標的になる。テロの暴力は、生きている人間の生命そのものに向けられていると考えなければならない。
こうしたものが、ぼくたちの直面している脅威や危機である。すると領土や国家を基準にした「平和」という考え方は、かなり修正されなければならないだろう。あまり「国防」の姿勢を強く打ち出すことは、かえって日本人の生命を危険に曝すことにもなりかねない。
逆に、われわれは憲法九条を擁して平和をめざす国民である、と世界中にアピールした方が、テロなどに遭遇する危険性は小さくなるかもしれない。少なくとも、人々の反感を買うことはないだろう。むしろ軍備をもたない小さな国を中心に多くの支持を得ることで、日本人が海外で様々な活動をする際に、安全保障の役割を果たすかもしれない。
平和の意味は相対化している。国家や軍備だけでは、ぼくたちの生命は守れない。一人一人の生命をいかに守るかということを、ぼくたちは当事者の立場で考えていかなければならない。そこから新しい「平和」が定義されてくると思う。