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タイガーマスク / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 日々是ほぼ好日

しばらく前に、マンガの主人公を名乗る人物から、児童施設などにプレゼントが届けられる、という「善行」が全国的なブームになったことがある。
こういう場合、ぼくなどは思わず、「良い子は真似をしてはいけません」と言いたくなるクチだ。
小学生がお年玉を届けた、といったニュースを耳にすると、複雑な気持ちになる。いい子なんだろうな。
いわれなく苦しんでいる人々がいるかぎり、自分は幸せではないと感じる。それはとても大切な世界の感じ方だ。この感覚ゆえに、人間は人間であるとも言える。
しかしそれが「善」という観念と結びつくと、ことは途端に難しくなる。人はしばしば善意の道に迷い込む。キリストも釈迦も、みんなそこで苦労している。過剰な善意は、かえって不健康なものだ。ときに禍々しい事態をも引き起こす。だから彼らは、神や仏を媒介とした救済を考えたのかもしれない。
次男が小学生のとき、「ぼくはこんなに毎日ごはんを食べていていいのかな」と言いだしたことがある。どうやら学校で、餓死する子どもたちの話を聞いたらしい。
ぼくはとっさに、「ごはんを食べられない人のぶんまで、しっかり食べてあげなさい。それがりんちゃん(というのが息子の名前)にできる、いちばんいいことなんだよ」と答えた。
人間はかなしいね。
小遣いを募金として送る、というのも一つの選択肢ではあるだろう。でも、それによって何かが終わってしまう気がする。もっと展開できる物語が、とりあえず「了」という感じになる。
何もしないというのは、たしかに心地が悪い。それは自分のなかに片付かないものが残るからだ。
手早く片付けないことが大切ではないか、とぼくは思う。