> 2011年9月の特集

おきゅうと / 福岡ウォーカー寄稿 これは美味なり

はじめておきゅうとを食べたのは、箱崎に下宿していた学生時代だ。賄い付きの下宿で、たしか朝食に出た。
「これ、なんですか」
「おきゅうとよ」
おきゅうと? なんてふざけた名前だ。とても素性の正しい食べ物とは思えない。しかも名称に反して、全然キュートじゃない外見。食べてみる。屁にもならないような味だ。こんなものでご飯を食べては、ぼくという人間の品格にかかわる。以来、おきゅうとを軽蔑していた。
認識をあらためたのは、大人のお酒を嗜むようになってからである。気の合う友だちと久しぶりに会う。話がはずむ。お酒も進む。おいしいものを食べてお腹はいっぱいだ。でも、もう少し話をしたいし、お酒も呑みたい。何か軽くつまむものを……。
そんなとき、お品書きにおきゅうとがあると嬉しい。いい店だな、と思う。
エゴノリという海草から作られるらしい。箱崎が発祥の地である、と箱崎あたりの人たちは主張している。いずれにしても、ほとんど博多限定の食べ物のようである。だから食べたことのない人に説明するのは難しい。いちばん近いのは、やはりトコロテンだろうか。味は淡白で、優しく、とらえどころがない。そうした良さが、若いころにはわからなかったのかもしれない。
初夏の食べ物である。さっぱりとした味の日本酒を冷やして、涼しげな硝子の器でいただく。できれば和服姿の優美なご婦人なんぞが横にいて……。
いやいや、贅沢は言うまい。ぼくの好きな食べ方は、葱と鰹節に生姜を添えてお醤油で。おいしいお酒が、さらに引き立つ。間違っても、不倫のカップルなどが食してはいけない。
「早く奥さんと別れてよ」
「まあ、もう少し待てったら」
そういう場面の人たちが食べてはいけない。食べてほしくない。
いい加減くたびれた中年の男女。煮詰まった会話。ふてくされた口調で女が言う。
「あたしお腹が減っちゃった」
「おやじ、こいつになんか作ってやってくれよ」
「はいよ」
「おれは酒をもう一本。それから……おきゅうとがあったらもらえるかい」
これはこれで、凄みがあるような気もするけどね。