特集

技術

技術とは人間に制御しえない何か、ではないだろうか。技術にたいして、人間はけっして超越的に振舞うことができない。人間が技術をコントロールしているというのは、見せかけだけのことに過ぎない。コントロールすることは、すなわちコントロールされることである。そうした相互的な関係こそが、技術の本質のように思える。

たとえば水力発電や火力発電にかわって、原子力発電という新たな技術が登場する。それは技術や産業の歴史として見れば、進歩や発展ということになるのだろうが、同時に、原発を厳重な管理のもとに運転し、一歩間違えば取り返しのつかない放射能災害を引き起こすというような、よりストレスフルな技術との関係にとらわれることでもある。仮に、核エネルギーをめぐる技術体系を完成させて、人間に害を与えないようにマネージメントできるようになったとしても、そこにより大きな、より深刻な技術的弊害や破壊性が待ち受けていることは、技術の本質からして間違いないだろう。

日本に二つの原子力爆弾の投下されたときが、きっと人間と技術の関係の折り返し点だったのだろう。今回の原子力発電所の事故で、そのことははっきりしたように思う。逃げる準備をして原発を動かすこと。先祖の墓参りもできなくなる可能性の下に生きること。被災する不安のなかで子どもを育てること。一つの技術に、人間としての自由も主体性も奪われること。それを是とすることの愚。

もちろん核エネルギーだけの問題ではない。遺伝子診断も再生医療も、けっして手放しで歓迎されるものではないだろう。技術に依存すればするほど、人間は技術のなかで人間性を喪失していく。人間とは技術なのか。技術とともにはじまり、技術とともに終わるものなのか。

たとえば「魂」といった言葉を、この世界にいかに根づかせるかが、これからは非常に重要になってくると思う。それは人間と自然、生者と死者とが交流するような世界を構想しうるかどうか、ということでもあるだろう。