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あの本、この本⑪

医学的常識を覆す本……その1

 福島第一原発の事故によって、ぼくたちは放射能の危険性について、かなり敏感になっている。いくらか勉強して、知識も仕入れつつある。その一方で、医療被曝についてはまともな議論がされていないのが現状だ。外部被曝による線量だけを考えれば、CTや各種レントゲン、マンモグラフィなどによる被曝の方が、はるかに身近で、日常的で、危険であるとも言える。同じ放射線が、「医療」というだけでスルーしてしまう現実こそ問題である。
 もともと近代医学にたいして根深い疑問をもつ者として、その種の本は目につくたびに読んできた。ほとんど読みっぱなしの状態なので、今回はとりわけ面白かったもの、啓蒙されたものを何冊かを取り上げて、医学と健康について少し考えてみたいと思う。

近藤誠『がん法治療法のすすめ』(文春新書)
 近藤誠さんの本は、1996年の『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋)の前から、ほとんどのものを読んでいた。この本は、しばらく筆を折っていた著者の久々の新刊であり、おそらく定年を前にして期するところがあったのだろう。新書版でコンパクトながら、これまでの集大成と言うべき密度の濃い内容になっている。
 近藤さんにかぎらず、ぼくが「面白い」と思った多くの人に共通しているのは、それまでの医学的常識にたいする、きわめて単純で、まっとうな疑問から出発していることだ。「がんを放っておいたら、どんどん増大し進行して死に至る」という常識にたいして、近藤さんが抱いた疑問は、「昔からすべての癌は、発見され次第治療されてきた。転移がんを治療しないことはあっても、早期がんや進行がんを治療せずに済ませることはなかった。それなのに、どんどん進行して死にいたることを、どうやって確かめたのだろう?」というものだった。
 こうした疑問に基づいて、多くの臨床例を検討した結果、近藤さんは以下のような結論に達した。
1.がんには発見の段階ですでに転移している「本物」のがんと、病理検査で「癌」と診断されても、他臓器に転移していないため、放っておいても死なない「もどき」の二種類がある。
2.本物のがんは、初発がん発見のはるか以前に転移しているため、治療しても治らない。したがって早期発見・早期治療には根拠がない。
3.抗がん剤治療(化学療法)は、血液性のがん、小児がんなど、幾つかの場合を除き、寿命を縮めるのでやってはいけない。
 ぼく自身はがん検診を受けないことにしている。2.がその根拠である。まあ、人によって考え方は違うだろう。しかし以下の点は、すべての人の参考になると思う。人間の身体は医学とは無縁に進化してきたため、手術、抗癌剤、放射線などで治療されることには慣れていない。がんは多少放置しても問題はなく、治療を受ける前にいろいろ調べたり確認したりする時間はある。

夏井睦『傷はぜったい消毒するな』(光文社新書)
 一見、トンデモ本っぽいタイトルだが、きわめて真っ当な内容。この本のなかで夏井さんが提唱しているのは、いわゆる「湿潤治療」(傷を消毒しない。創面を乾燥させない。)だが、それだけではない。人間の皮膚や細胞にかんする、とても重要な知識を提供してくれている。
 夏井さんの抱いた疑問は、つぎのようなものだ。たとえば大腸がん手術の場合、腹部の傷は消毒するのに、大腸の吻合部は消毒しない(できない)。しかし普通、吻合部は化膿しない。すると傷の消毒と化膿は関係ないのではないか?
 消毒薬は細胞膜タンパクを変性し、破壊してしまう。この点は細菌の細胞も人間の細胞も同じ。ところで細菌の細胞には細胞壁があるが、人間の細胞にはない。したがって「消毒薬は人体細胞はすぐに殺せるのだが、細菌を殺すには時間がかかりし作用も弱くなる。」結論。「細菌は殺せなくても人間の細胞だけは確実に殺せる薬剤、それが消毒薬だ。」
 人間に無害な消毒薬というのは理論上ありえない。つまり傷を消毒することは間違っているか、控えめに言っても意味がないのだ。ではなぜ、こんな不合理なことが常識としてまかり通っているのだろう。ここからが本書の真骨頂なので、ぜひ実際に読んでいただきたい。要点だけを述べるなら、医学的常識とされているもののなかには、きわめて非常識なものがとても多いということである。正しい治療だから皆がしているのではなく、皆がしているから正しい治療である、というのが実態なのだ。つまり原子力ムラと同じように、医学の世界のあちこちにムラがあり、そのなかでは非科学的な常識が検証されることなく継承されていく。だからぼくたちは自分で勉強し、自衛するしかない。
 消毒ということを入口にして、本書には非常に実用的な知識が満載されている。以下、ぼくが「なるほど」と思ったことを幾つか挙げてみよう。
1.傷口に細菌がいるのは自然現象であり、異状事態ではない。問題は感染源(増殖できる場)があるかどうかだけである。したがって傷が化膿しないように抗生物質を服用するのは無意味である。
2.クリーム基材の軟膏は界面活性剤を含んでいるため、傷や熱傷には使ってはいけない。不透明な軟膏類があったら、とりあえず傷には塗らないでおいた方が安全である。
3.界面活性剤は細胞膜を直接破壊してしまうから、乾燥肌対策にハンドクリーム、尿素含有クリームなどを用いると、たいてい症状は悪化する。また石鹸、シャンプーの使い過ぎは乾燥肌や痒み、アトピーなどの原因になる。
4.化粧品の有害性については言うまでもないが、言っても無駄だと思われるので、ここでは触れない。
 他にも、たとえば人間や他の生物が常在菌を利用して細菌の侵入を防いでいるといった件は、動物や植物、さらには細菌との共生について多くの示唆を与えてくれる。また巻末で展開される、生物進化の過程から皮膚を見直す試みも、きわめて壮大で、すでに試論の段階を超えているように思われる。同じ視点で皮膚を扱った本としては、傳田光洋『皮膚は考える』(岩波科学ライブラリー)がある。

 今回取り上げた二人の研究は、優にノーベル医学生理学賞レベルを超えていると思う。しかし近藤さんの研究も夏井さんの研究も、本質的に医療の過剰を批判するものなので、たぶんノーベル賞の対象にはならないだろう。現在のノーベル賞、とくに医学生理学賞は、医療ビジネスに結びつくかどうかが重要な選考基準になっている。山中教授のiPS細胞もまた然り。ぼくがノーベル賞に否定的なのは、こうした理由にもよる。