特集

愛 / 愛媛新聞PR誌「アクリート」寄稿 言葉にかまけて

愛について、顰蹙を買うまでに語り倒したいと思っている。いい歳をして「愛」などと言うと、あいつおかしいんじゃないかと思われるかもしれないが、たしかに。でも皆さん、ちょっとまわりを見まわしていただきたい。世界中の至るところで武力紛争、内戦、テロ、威嚇、制裁……それが常態になっている。いったい誰がなんのために戦っているのか、ぼくたちからするとよくわからないことも多い。ただ憎しみと暴力の連鎖だけが地球を覆っているように見える。
国内に目をやっても、富める者と貧しい者が、儲けた人と損をした人が、正規雇用者と非正規雇用者が、官僚と国民が、生産者と消費者が、大人と子どもが、夫と妻が、先生と生徒が、医者と患者が、不信感を抱き合い、ときに反目し、お互いを拒絶し、嫌悪し、暴力のような否定的力に訴えることが多くなっている。そうした風潮のなかで、安全保障のために憲法を改正して国防軍を強化するとか言って、やはり軍事力という否定的力を恃みにする人たちが幅を利かせている。
だから愛。顰蹙を買うまでに愛。強い肯定のメッセージを込めて、髪の毛が後退しつつある五十四の男には、いかにも不似合いな言葉を、あえて使ってみたいと思うのだ。
『聖書』のなかでイエスは、様々な病人を癒す。そのときイエスの発する言葉は、「あなたの罪は赦される」というものだ。これは無条件の承認を意味している。あなたがどのような者であろうと、わたしはあなたの存在を承認する。ぼくたちはイエスではないから、もっとプライベートな場面、ロマンチックな文脈で、一人の相手に無条件の承認を与える。家族や恋人といった限定的な関係のなかで、お互いを承認し合う。それが愛という肯定する力だ。水をやり、光を与えて、この力を大切に育てていかなくてはならない。
いまは対話が成り立たなくても、たとえ憎しみ合ったり殺し合ったりしていても、暴力と憎悪に満ちた世界を生きているのは、愛する力を授かった一人一人の人間であることを、ぼくたちは忘れないようにしたい。