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あの本、この本②

 去年公開されたゴダールの新作、『フィルム・ソシアリズム』には驚いた。映像の力強さ、鮮烈さ、みずみずしさ、若々しさは、とても80歳の監督が撮ったものとは思えない。ぼくも80歳になったとき、こんなふうに過激に言葉を紡いでいたい、と強く思ったものだ。
 ゴダールの映画が好きかと言われると、即答に困る。もちろん好きなものもある。『勝手にしやがれ』『気違いピエロ』……あれ、それくらいだ。映画よりも、映画を作った本人の方が面白い。ぼくにとってゴダールやフェリーニは、そういうタイプの監督だ。
 だいたいゴダールの作品って、何本くらいあるんだろう。同世代のトリュフォーは20本くらいだろう。その大半を観ている。上映される機会も多いし、いまではほとんどの作品がDVD化されている。ゴダールの場合、40本以上はあるはずだ。なかには『映画史』のように、4時間を超える大作も含まれている。クラシカルな作りではないから、通常の映画館ではかかりにくい。(『フィルム・ソシアリズム』を一般公開した日本はエライ!)したがって観るチャンスは少ない。かなりの作品はDVD化されているけれど、個人で買うには値段が高い。買っても、全部を観る自信がない……いろんな理由から、全貌がとらえにくい。
 そこで「ゴダールと女たち」。そうか、そういう切り口があったか。本書はゴダールが生涯に深くかかわった女性たちを通して、映画作家としての彼の軌跡を描こうというものだ。取り上げられる女性たちは、ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、アンリ=マリ・ミエヴェルの四人。番外としてジェーン・フォンダ(なぜ?)。彼女たちとの代表作をあげておこう。
   ジーン・セバーグ『勝手にしやがれ』
   アンナ・カリーナ『気違いピエロ』
   アンヌ・ヴェアゼムスキー『ワン・プラス・ワン』
   アンリ=マリ・ミエヴェル『パッション』『カルメンという名の女』
 たしかに「女たち」を通して見えてくるものがある。それは映像作家としてのゴダールの、かなり本質的な部分かもしれない。
        【四方田犬彦『ゴダールと女たち』講談社現代新書】