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あれも聴きたい、これも聴きたい②

ライ・クーダーを讃えて
 
 ライ・クーダーの新作『Pull Up Some Dust And Sit Down』は彼らしいアルバムだ。地味だけれど、聴くほどに味わい深い。ギターだけでなく、マンドラ、バンジョーなどを演奏し、久しぶりに力強い歌を聞かせてくれている。フラーコ・ヒメネス(アコーディオン)の参加も嬉しい。ほぼ全曲でドラムを叩いている息子のヨアヒムも、一人前のミュージシャンに成長した。なんだか、幸せそうなライの顔が浮かぶようだ。
 初期のライは好んで、ウディ・ガスリー、レッドベリー、スリーピー・ジョン・エステス、アルフレッド・リード、ブラインド・ウィリー・ジョンスンといった古いソングライターの作品を取り上げていた。この新作も、最初に聴いたときは、またライがどこからか古い曲を探してきたのだろうと思った。ところが実際は、すべて彼のオリジナルなのだ。いまや様々なルーツ・ミュージックは、完全にライの音楽そのものになっているのだろう。最近作られたばかりのオリジナルが、トラディショナルのように聞こえるというのは、考えてみるとすごいことかもしれない。
 まだ「ワールド・ミュージック」などという言葉のないころ、ぼくにとってライ・クーダーは、世界中の未知の音楽への扉を開いてくれた人だった。アメリカ音楽のルーツであるブルースやマウンテン・ミュージック(アパラチア山脈の周辺で発達した音楽)はもとより、チャーリー・パーカー以前の古いニューオーリンズのジャズや、ハワイ、メキシコ、カリブ海といったアメリカ周辺の音楽を、ポピュラー・ミュージックとして楽しく聴かせてくれたのがライだった。
 とくに1976年の『Chicken Skin Music』から1980年の『Borderline』あたりまでは、どの作品も斬新で、ぼくは彼のアルバムに参加しているミュージシャンや取り上げている曲の作者を、必死になっておぼえようとしたものだ。そうして前出のフラーコ・ヒメネスやギャビー・パヒヌイ(スティール・ギター)といったミュージシャンとともに、テックス・メックスやスラックキー・ギターといった言葉をおぼえた。またジェリー・ロール・モートンやビックス・バイダーベックといった、チャーリー・パーカー以前のジャズ・ミュージシャンを知ったのだった。
 おそろしく幅広い音楽的素養と、それらの音楽にたいする深い理解がありながら、ライの発表するアルバムは、けっして難解なものではない。世界各地の様々なポピュラー音楽が、一人の音楽家のなかで吸収され、消化されて、どんなジャンルにも属さないライ・クーダーの作品になっている。それぞれのルーツ・ミュージックに敬意を表しながら、ライ自身がそれらの曲を心から楽しんで演奏している。そこが素晴らしかった。
 こうしたスタンスは、シカゴ・ブルースあたりを取り上げるときのストーンズに似ている気がする。そう言えば、ミック・テイラーがストーンズを辞めたとき、後釜のギタリストとしてライの名前が挙がったこともあったっけ? いまでは完全なミス・キャストに思えるけれど、実際に『レット・イット・ブリード』にはマンドリンで参加しているはずだ。そんな時代もあったのですねえ。「ラブ・イン・ヴェイン」のボトルネック・ギターのフレーズをキースに盗まれたって、ライが文句を言っているのを何かで読んだおぼえもある。みんな遠い昔の話だなあ。
 一時期は映画音楽の人になってしまい、そのなかにはヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』など、傑作も多々あるのだけれど、やっぱりファンとしてはちょっと物足りなかった。また『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』以後は、プロデューサー業も忙しいようで、アリ・ファルカ・トゥーレの『Talking Timbuktu』やメイヴィス・ステイプルの『We’ll Never Turn Back』など、素晴らしい作品を残している。でも、やっぱり彼自身のオリジナルを聴きたい。というわけで、この秋はライの新作をじっくり楽しもうと思っている。