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あの本、この本⑤

 お世話をしてくれる知人がいて、あれよあれよという間に、予期しなかったオーストラリア行きがきまった。出発は11月20日、このたびの目的地ケアンズは、夏へ向かうちょうどいい季節だという。
 以前は、福岡からカンタス航空の直行便が就航していたのだが、現在は運休しており、今回は関西空港からジェットスターを利用することになった。到着は現地時間の午前5時。もうすっかり明るい初夏の朝だった。さっそくホテルへチェックイン、一休みして街を歩いてみる。
 ケアンズの観光施設は、ホテルもショップもレストランも、ほとんど半径500メートルくらいの区域に集中している。たいていのところへは15分もあれば歩いて行ける。Cairns Centralというショッピング・センターのカフェでカプチーノを飲む。ちょっと甘みがあって美味しい。古本市をやっていたので覗いてみると、Bruce Chatwinの書簡集(“Under The Sun”というタイトル)を5ドルで売っていた。
 彼の『ソングライン』という著作は、ぼくがオーストラリアのアボリジニに興味をもつきっかけをつくってくれたものだ。はじめてオーストラリアへやって来た初日に、日本では見たこともない彼の書簡集を見つけるのは、なんだか不思議な縁のような気がして、550ページもある大型本でかなり重いけれど買ってしまう。
 この“Under The Sun”には、8歳のときに両親に宛てたものから、亡くなる直前のものまで、妻や友人や編集者たちに出した手紙が収められている。よくこれだけ保存されていたものだ。また、それを集めたものだと感心する。きっといろんな人たちの想いが、この本にはこめられているのだろう。
 編者のNicholas ShakespeareはChatwinの伝記も書いている人で、この本も書簡集の体裁をとった伝記として読める。彼がエイズのために亡くなったのは1989年、まだ48歳だった。1986年の4月にインドを旅したとき、ある町で手相をみてもらったことがあるらしい。その老人はChatwinの手相をみるなり青くなった、という妻Elizabethの証言が生々しい。
 さて『ソングライン』(”The Songlines”)は1987年、Chatwinが亡くなる二年前に出版されている。彼の最晩年の著作と言っていいだろう。「ソングライン」とは、オーストラリア全土に延びる迷路のような目に見えない道であり、それはアボリジニの先祖たちがたどった足跡であるとされている……これではとらえどころがないな。たとえば本書ではつぎのように説明されている。「一生をかけて自分の先祖のたどったソングラインを歩き、歌うことによって、人は最後にその道となり、先祖となり、歌そのものとなったのである。」あるいは「取り引きルートがソングラインなのです。というのは、物ではなく歌が、交換の主要媒体だからです。物のやりとりは歌のやりとりに付随して起こる結果なのです。」
 このような美しいイメージを追いかけて、著者とおぼしき主人公が、オーストラリアの大地を歩きまわる。その時々に書きとめられた思索が魅力的だ。
「大地を傷つけるということは、自分自身を傷つけるということだ。」
「以前にもまして、人は物なしで暮していくことを学ばねばならない。物は人の心を畏れで満たす―――物をもてばもつほど、怖れは増える。物は魂に食らいつき、そして次になにをなすべきかを魂に告げるのだ。」
「砂漠で迷子になることは、神への道を見つけることだった。人類はアフリカの砂漠で生まれた。砂漠に戻ることで、人は自分自身を再発見する。」
 他にもまだたくさん、豊かな啓示に満ちた言葉がちりばめられている。この本を読むことで、ぼくたちは著者と一緒にソングラインを旅していく。そして最後の印象的なシーンにたどり着く。旅の果てに、主人公は死を待つアボリジニの男たちと出会う。
「彼らは申し分なかった。ユーカリの木陰で死に向かって微笑みながら、彼らは、自分がどこへ行こうとしているのかを知っていた。」
 それは自らの死期を悟った著者の、透徹した目に映った光景だったのかもしれない。

【ブルース・チャトウィン『ソングライン』芹沢真理子訳(めるくまーる)】
 ※現在は品切れのようですが、アマゾンで中古本が簡単に手に入ります。もう一つの彼の代表作である『パタゴニア』は、池澤夏樹編集の世界文学全集(河出書房新社)に入っています。