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ネコふんじゃった2008(シーズン4)

36)生まれたときから、ずっと名盤

 このアルバムを最初に聴いたのは高校二年生の冬、友だちのY君の家だった。部屋の隅では、石油ストーブが燃えていた。ちょっとお腹が減ったので、Y君がゆで卵をつくってくれた。コーヒーを淹れて準備完了。レコードに針を下ろす、一曲目の「愛のゆくえ」がはじまる。ぼくたちは卵の殻を剥きながらレコードを聴きつづけた。曲が進むにつれて、部屋のなかがヒートアップしていく。ぼくには音楽の熱気が、部屋の温度を上げているように思えた。
 発売は一九七一年、A面がロサンゼルス、B面がニューヨークでのライブ録音である。生まれた瞬間から、歴史的な名盤であることを約束された作品。その名声はビニール盤からCDに媒体が変わっても、まったく揺らぐことがない。それほど、ここで聴かれる演奏は時代を超えて圧倒的だ。まずダニーの歌とエレピが熱い。「きみの友だち」(キャロル・キング)や「ジェラス・ガイ」(ジョン・レノン)といったカバーのセンスも最高だ。さらにバックのミュージシャンたちの演奏も、これ以上は望みようがない。ソウル、ジャズ、ロック、クラシック……様々な音楽の要素を取り入れ、まさにワン・アンド・オンリーの世界を作り上げている。
 ちなみにA面にはフィル・アップチャーチが、B面にはコーネル・デュプリーが、それぞれギタリストとして参加している。ベースのウィリー・ウィークスとともに、後にフュージョンというジャンルで一時代を築く人たちだ。そういう意味で、ぼくにとっては新しい音楽の世界へ扉を開いてくれた作品でもあった。
  (ダニー・ハサウェイ『ライブ』)

37)大好きな「大地の歌」だけれど

 今年のサイトウ・キネン・オーケストラのメイン・プログラムは、マーラーの交響曲第一番『巨人』だったそうだ。コンサートを聴きに行った友だちからその話を聞いて、このところまたマーラーを聴いている。もう二十年近く前になるだろうか、ずいぶん入れ揚げて、いろんなディスクを買い集めたことがあった。
 マーラーの交響曲では一番や四番あたりをよく聴くが、なんといってもいちばん好きなのは『大地の歌』だ。ひところは、この曲と心中してもいいと思うくらい惚れ込んだものだった。それほど好きな『大地の歌』だけれど、これはという理想的な演奏がない。たとえば一九五二年のワルター盤は名盤の誉れ高いものだが、ぼくはどうもフェリアーのメゾソプラノが苦手なのだ。六六年のバーンスタイン盤は偶数楽章をバリトンにしたのがマイナス、クレンペラーはテンポが遅すぎる……という具合で、どれもいまひとつ満足できない。どうやらオーケストラの演奏に加えて、テノールとメゾソプラノと二人の歌手を揃えなければならない点が、ネックになっているようだ。
 そこで目先を変えて、最近はシェーンベルクが室内楽用に編曲したディスクをよく聴いている。ピアノが入っていたりして、はじめは違和感があるかもしれないが、少ない人数で演奏しているぶん、作品の輪郭がとらえやすい。二人の歌手もなかなか優秀で、マーラーの「歌もの」としての魅力は大きい。ハイブリッドのSACDで、普通のCDプレーヤーでも再生できるので、見つけたら聴いてみてください。
  (マーラー『大地の歌』)

38)タルコフスキーとバッハ

 バッハの宗教曲といえば、マタイ、ヨハネの両受難曲にロ短調ミサ曲、クリスマス・オラトリオと傑作揃いだが、どれか一つということになれば、作品の規模からいっても内容からいっても、やはりマタイ受難曲ということになるだろう。
 ぼくがこの作品と出会ったのは、タルコフスキーの映画においてだ。彼の遺作である『サクリファイス』が公開され、さっそく劇場へ観にいった。すると作品の冒頭で、マタイ受難曲のアリアが流れてきたのだ。鳥肌が立つような、異様な感動をおぼえた。第一級の音楽が第一級の映像と結びついたときの威力を、あらためて感じさせられた。
 さっそく三枚組みのCDを手に入れた。聴き通すのに三時間くらいかかったが、すでに新約聖書に親しんでいたこともあって、すんなり作品の世界に入ることができた。タルコフスキーの映画で使われていたのは第四十七曲のアリアで、ユリア・ハマリというアルト歌手がうたっている。そのディスクはヘルムート・リリングが指揮したもので、最初に買ったものだけに愛着がある。残念ながら、現在はカタログには載っていないようだ。
 でも心配はご無用。素晴らしいディスクはたくさんある。代表的なものは、やはりリヒター盤ということになるだろうか。古いところではメンゲルベルク盤が面白い。古楽器を使った新しいものでは、バッハ・コレギウム・ジャパンのディスクが美しいように思う。少し値は張るが、最初の一セットだけは、日本語訳の付いた国内盤をお勧めします。
  (J.S.バッハ『マタイ受難曲』)

39)お行儀のいいコルトレーンを聴く

 雪雲が低く垂れ込めた、寒い冬の日の午後、薄暗い部屋で本を読んでいると、どこからともなく、寂しくも懐かしいピアノの音色が聴こえてくる。エリントンの弾く「イン・ア・センチメンタル・ムード」のイントロだ。つぎはテナーサックス。一つ一つの音を慈しむように、コルトレーンが切ないメロディを吹きつづっていく。胸の奥が、少しずつ藍色に染まっていく。
 そんなふうにして、年に何度か、このアルバムが無性に聴きたくなる。デューク・エリントンとジョン・コルトレーン。どういう経緯でこんな共演が実現したのだろう。名前だけを並べてみると、まったく接点のない組み合わせにも思える。二人が残した作品の傾向はずいぶん異なるし、歳は親子ほども離れている。ところがどっこい、生まれた作品は「歴史的名盤」と呼ぶにふさわしいもの。焼き物でいうところの「窯変」。ジャズという音楽には、どこか錬金術的なところがある。
 この作品、端正な美しさという点では、数多いジャズ・アルバムのなかでも屈指のものではないか。アップテンポの曲も入っているが、作品全体を支配するのは落ち着いた、静謐なムード。まるで青の時代のピカソの絵のようだ。やはり相手がエリントン公爵ということもあってか、コルトレーンのアドリブも、いつになく繊細だ。けっして萎縮しているわけではなく、彼らしいフレーズを随所に繰り出しながら、節度を失っていない。そこが素晴らしい。これからジャズを聴こうという人にオススメです。
  (『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』)

40)春だ、ジャヴァンを聴こう!

 現在も活躍するブラジルのミュージシャン、ジャヴァンがアメリカのメジャー・レーベルに移籍しての第一作は、日本でのデビュー作でもある。発表は一九八二年、一曲目の「サムライ」はスティーヴィー・ワンダーがハーモニカで参加しているという話題性もあって、けっこうヒットしたおぼえがある。全編ジャヴァンのオリジナルで、他にも「シーナ」「アサイ」など、名曲ぞろい。
 ロニー・フォスターがプロデュースで、ハーヴィ・メイソンやエイブラハム・ラボリエリといった、当時のLAきってのスタジオ・ミュージシャンたちがバックを固める。つまり作りは完全にフュージョンあるいはAORなのだが、出てくる音は、どう聴いてもブラジルのコンテンポラリー・ミュージックとしか言いようのないもの。
 とかくブラジルのミュージシャンがLAで録音すると、たんに耳ざわりがいいだけの、つまらない作品になってしまうことも多いのだが、このアルバムは成功した例と言えるだろう。洗練された音のなかにも、ちゃんと野性味を残している。ポルトガル語の歌詞に加えて、ジャヴァンの歌声、独特のリズム感などが、遠いアマゾンの風を運んでくる……ような気がする。
 ところで、熱帯の珍しい鳥をあしらったジャケットは日本盤だけのものらしい。秀逸である。アルバムのイメージを決定づけている。オリジナルはジャヴァンの顔のドアップ! インパクトがありすぎるというか、『ルース』というアルバムは、やはりこのジャケットで聴きたい。
  (ジャヴァン『ルース』)

41)素直に聴けなかったプログレシッブ・ロック

 高校生のころ、大人になっても絶対に真似するまいと思ったのは、ゴルフとプログレ系のファッションだった。パッチワークをあてたジーンズにチェックのシャツという、ニール・ヤングのファッションを最高と思っていた当時のぼくには、彼らのセンスは許しがたいものだった。
 とりわけイエスとエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)には、しばし言葉を失った。本人たちはカッコイイと思っているらしいことも、事態を一層深刻にしていた。イエスの『こわれもの』や『危機』は好きだったけれど、恥ずかしくて、友だちにはレコードを持っていることを知られたくなかった。
 EL&Pの場合は、NHKテレビで放映された『展覧会の絵』が致命的だった。とくにキース・エマーソンときたら、上半身裸でキーボードを相手に器械体操まがいのパフォーマンス、挙句の果てにナイフを突き刺して楽器を壊してしまう。唖然としたまま番組を見終えたぼくのなかで、「EL&P=こけおどし」というイメージが形作られてしまった。
 いまはやや冷静に、彼らの音楽を聴くことができる。エキセントリックなエマーソンのプレイが、クラシックとジャズをよく消化した確かなものだということもわかる。こけおどし的に聞こえる部分も、ほほえましく感じられる。大人になったなと思う。写真は七十年に発表されたデビュー・アルバム。このジャケットを見ると、どんな音楽が飛び出してくるのだろうと、ドキドキしながらレコードに針を下ろした中学二年生の春休みを思い出す。
  (『エマーソン・レイク&パーマー』)

42)あのころ彼はスゴかった

 ぼくの高校時代は、一九七四年から七六年になるのだが、この三年間に、スティーヴィー・ワンダーは『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』『キー・オブ・ライフ』という三枚のアルバムを作り、いずれもグラミー賞を獲得している。ぼくたちが『試験に出る英単語』や『解放のテクニック』と格闘していたころ、彼はまさに爆発していたのである。
 盲目の天才ソウル・シンガーとしてモータウンからデビューしたとき、彼は十歳そこそこの少年だった。それから十年が経ち、二十歳を過ぎた青年は、自分で作詞・作曲からプロデュースまでをこなす天才ミュージシャンに成長した。ちょうど彼の成長と手を携えるようにして開発が進みつつあったシンセサイザーをメインに、ドラムスやハーモニカなど、ほとんどの楽器を一人で演奏しているけれど、それぞれの曲に盛り込まれているアイデアが豊富なので、アルバムを通して聴いても一つ一つの曲が印象に残る。もちろん全体の統一感、完成度は言うまでもなく、ソウルやロックを土台にして、彼だけの音の世界を作り上げている。
 ここでは、ぼくがいちばん好きな『インナーヴィジョンズ』を取り上げよう。楽曲のクオリティーの高さに加えて、アルバム全体にシャープな勢いがある。それが初夏の風のように心地よい。このアルバムの前にも、『ミュージック・オブ・マインド』や『トーキング・ブック』という素晴らしい作品をつくっているスティーヴィー。あのころの彼は、まさに神がかっていた。
  (スティーヴィー・ワンダー『インナーヴィジョンズ』)

43)みんなメロウでシルキーだったころ

 あのころ(というのは、ぼくが大学生だった七〇年代後半)、AORという呼び方はなかった。ソフト・アンド・メロウとかシティ・ポップスなどと呼ばれていた。ちなみにAORは「アダルト・オリエンテッド・ロック」の略。ロックにジャズやソウルの要素をブレンドして洗練させたもの、といったところか。
 一九七六年にボズ・スキャッグスが発表した『シルク・ディグリーズ』は、AORというジャンルが誕生するきっかけになった重要な一枚と言えるだろう。そこから「ロウダウン」「ハーバーライト」「ウィアー・オール・アローン」といった曲がヒットしたことにより、イメージが定着したのではなかったか。
 この『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』は、『シルク・ディグリーズ』の翌年に発表されたもの。あいかわらず黒のスーツにサングラスでキメているボズさんだが、もともと彼はデュアン・オールマンとブルースをやっていた人。その後、ソウル色の強いアルバムなどを経て、突然、メロウでシルキーに変身したのだった。とはいえ、『シルク』にはちゃんとR&Bっぽいところが残っていたし、この『レフト』も、洗練されてはいるが、根っこにあるのはソウル・ミュージックだ。そのあたりの頑固さ(というか不器用さ)が魅力の、ボズさんです。
 マイケル・オマーティアンをアレンジャーに起用、LAの腕利きミュージシャンがバックを固める。なかでも前作につづいて参加の、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)が素晴らしい。
  (ボズ・スキャッグス『ダウン・ゼン・トゥ・レフト』)

44)気だるい夏の昼下がりに

 七十年代、八十年代を通して、ブラジルのコンテンポラリー・ミュージックを牽引していくガル・コスタとカエターノ・ヴェローゾ。これは二人にとってのデビュー・アルバムにして、一期一会のデュエット・アルバム。録音は一九六七年、ガルは二十二歳、カエターノは二十五歳だった。
 タイトルの「ドミンゴ」は日曜日という意味。その名のとおり、気だるい休日の音楽ではある。基調となっているのはボサノヴァ。でも明るくも、さわやかでもなく、どちらかというと内向的な雰囲気をもっているのは、当時のブラジルが軍事政権下にあったことも関係しているのだろうか。制作上の制約もあったのだろう。虚無的な装いのなかに、内に秘めた情念というか、静かな緊張感が顔を覗かせる。
 国内盤のオビには「ぼーっとしてたら終わっちゃうかも」と。たしかに似たようなテンポとトーンの曲がつづくので、全体に起伏がなく感じられるかもしれない。時間も三十分少々と短い。でも遠くでは、不穏な火が冷たく燃えている。波の静かな海面の下では、すでにいろんなことが起こりはじめている。このあとカエターノは、より自由な制作環境を求めてロンドンへ亡命する。そんな時代背景に思いをめぐらせながら聴くと、日曜日の別な表情が見えてくる。
 二人とも、いまなお現役。とくにカエターノは、息子がリーダーを務めるギター・ロック・バンドを率いて、一時期よりも若返ったような作品を発表しつづけている。
  (カエターノ・ヴェローゾ&ガル・コスタ『ドミンゴ』)

45)突然の死を悼んで

 その日、ぼくは仕事でパリにいた。朝、ホテルの部屋でテレビをつけると、白いシーツでくるまれた遺体が、ヘリコプターから搬入されるシーンが映った。すぐに画面はジャクソン・ファイブ時代のマイケル少年に切り替わる。さらに「今夜はドント・ストップ」「スリラー」と全盛期のプロモーション・ビデオが映し出されていく。えっ?さっきの遺体、彼だったのか……。
 ぼくにとってのマイケル・ジャクソンは、この『オフ・ザ・ウォール』一枚に尽きる。「イベリアン・ガール」や「ヒューマン・ネイチャー」など、他にも好きな曲はある。でもアルバムとして隅から隅まで好きなのは、『オフ・ザ・ウォール』だけかもしれない。クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えての一作目。いつもながらQ氏の音作りは隙がなく適切だ。マイケルも自作の曲を用意して、ミュージシャンとしての意気込みを見せる。ロッド・テンパートンをはじめ、外部発注の曲も出来がいい。ポール・マッカートニー作の「ガールフレンド」が、いいアクセントになっている。という具合に、すべてがうまくいっているのだ。
 『スリラー』も『Bad』も、なくてよかったのにな。『オフ・ザ・ウォール』が最大のヒット作だったらよかったのにな……なんて思うのだから、ファンは勝手ですね。ポップ・スタートしての巨大なイメージを背負いながら、ゴシップやスキャンダルにまみれていく、その後の姿を知っているだけに、このアルバムで彼が見せた新鮮な輝きは、尊いものに感じられる。
  (マイケル・ジャクソン『オフ・ザ・ウォール』)

46)アンビエントな夜のために

 ブライアン・イーノが「アンビエント・ミュージック」というジャンルを作り出さなければ、この手の音楽との出会いはずっと遅れていただろう。いや、まったく出会わなかった可能性もある。そう考えると、イーノ先生に感謝です。
 作者のハロルド・バッドは、一九三六年、ロサンゼルス生まれの作曲家で、大学卒業後はミニマル的な作品を作っていたということだから、もともと現代音楽のフィールドの人なのだろう。現代音楽と聞くと「難しい」「わからない」という先入観をもつ人は多いかもしれないけれど、その点はご安心を。このアルバムにはいっている曲はどれも耳あたりがよく、高級なBGMといった感じのものばかりである。
 たとえば一曲目の「ビスミラーイ・ラーマニ・ラーヒム」(コーランのなかの文句らしい)は、マリオン・ブラウンのアルト・サックスを中心に、エレクトリック・ピアノ、ハープ、チェレスタ、グロッケンシュピール、数台のマリンバという編成である。こうした楽器編成からして、いかにも現代音楽っぽいが、浮遊する淡いメロディがとても心地いい。その他の曲も、ハープ、マリンバ、ピアノ、ヴォーカルなどが様々に組み合わされ、静謐な時間を紡ぎだしていく。尖った難解さや攻撃性は皆無、どの曲も夢見心地のリラクゼーションに誘ってくれる。
 美しい癒しの音楽にぼんやりと身を任せるもよし、小さな音で流しながら読書をするもよし。秋の夜長のひととき、窓の外の虫の音とともにどうぞ。
  (ハロルド・バッド『夢のパビリオン』)

47)大地の声に酔う

 ミルトン・ナシメントの名前をはじめて目にしたのは、ムーンライダーズの『ヌーヴェル・ヴァーグ』というアルバムに彼の曲が入っていたから。同じころ、ウェイン・ショーターの『ネイティブ・ダンサー』を聴いて、このブラジルのミュージシャンに興味を抱くようになった。
 ナシメントの魅力は、なんといってもその声にあると思う。雄大な大地の広がりを感じさせる、おおらかで伸びやかな独特の雰囲気をもっている。このアルバムは、彼がCTIに残した傑作。ムーンライダーズが演っていた「トラベシア」は一曲目に入っている。アレンジャーに同郷のデオダートを向かえ、リズムセクションもブラジルのミュージシャンが固める。多くの曲にストリングスが加わり、何曲かでハービー・ハンコックやヒューバート・ロウズといったジャズ=フュージョン勢が活躍する。歌詞が英語の曲もある。
 アルバムのコンセプトとしては、失敗していてもおかしくはなかった。ちょっと作り過ぎというか。しかしミルトンの声が、散漫で甘口になっていたかもしれないアルバムを、きりりと引き締めている。その声が入るだけで、どんなアレンジを施そうと、バックで誰が演奏していようと、彼の色に染まってしまう。とくに声量があるわけでも、飛びぬけて技量があるわけでもないのに、不思議である。
 それにしても、一九七八年の時点でミルトン・ナシメントの曲を取り上げていたムーンライダーズというバンドも、すごいというかなんというか、やっぱりへんな人たちだなあ。
  (ミルトン・ナシメント『コーリッジ』)

48)こんなんジャズじゃない、と言われたものだけど

 ジャズを聴きはじめたころは、CTIというレーベルをなんとなく馬鹿にしていた。ブルーノートなどの由緒正しいジャズ・レーベルにくらべると、ちょっと軽いというか、ストリングスを多用したサウンドをはじめ、ジャケットも含めてムードミュージック的なところがあった。
 あれから三十年、四十年と経ってみて、このレーベルに残された作品の多くが、いまだに鮮度を失っていないことに驚く。いわゆる「あの時代の音」になっていない。去年あたりに出た新譜という感じで聴ける。長く聴きつづけているのに飽きがこない。昔よりも、かえって新鮮に聴こえたりもする。
 このアルバムも、CTIを代表する一枚と言えるだろう。ジム・ホール(ギター)のリーダー作だけれど、その他のメンバーがすごい。まずフロントがチェット・ベイカー(トランペット)にポール・デスモンド(アルトサックス)。リズムセクションはおなじみロン・カーター(ベース)とスティーブ・ガッド(ドラムス)。なんとかっこいいメンバーだろう。ピアノにローランド・ハナというのが、これまたしぶい。
 一曲目が伝説的な名演。この曲、ヘレン・メリル&クリフォード・ブラウンやアート・ペッパーなど、名演が多い。それらと肩を並べる。メインディッシュは「アランフェス協奏曲」。こちらもマイルスとギル・エヴァンスによる超名演がある。でも、そこはCTI。あれほど深刻ではなく、あくまで軽やかに、リリカルに仕上げている。残り二曲も美味。秋の夜長におすすめです。
  (ジム・ホール『アランフェス協奏曲』)